006

※辰中の生徒×先生パラレルから派生したものです。三上笠井は問題児。

 

 

「俺もうお前の顔見飽きた」
「じゃあ呼ぶな」
「じゃあ呼ばれるな」

生徒指導室で横柄な態度、彼の担任がはげそうなのも納得できる。

「三上くん、どうして呼ばれたのかわかってるよね?」
「なんで?職員室でコーヒー飲んでたから?」
「お前ね…これが三上の成績表!わかる?これ卒業できないよ?」
「どーせ追試とかで助けてくれんだろ?」
「…そういう態度の奴にはやらない」
「またまたぁ」

可愛げがない。中西は顔をしかめる。サッカー部を引退してから余計にひどくなった素行の悪さに他の教師はお手上げだった。生徒指導部の中西だって投げ出したい。が、こんな厄介者こそ卒業させてしまわなければ、来年は命を削ることになるだろう。────この三上のお気に入りが、ひとつ下の学年にいる。留年などしたら同学年だ。

「俺の胃に穴が開いたら治療費請求してやる」
「中西みたいな図太いやつに限ってそれはない」
「俺も胃痛感じるなんて生まれて初めてだよ」

あっ俺用があるんだった!わざとらしく逃げ出す三上を今更捕まえる気にならない。中西は頭を抱えて指導室を出た。

さてどうしたもんか。城である科学準備室で溜息をつけば、大型犬を連想させる生徒がコーヒーを入れてくれる。知らぬ間に中西の好みを把握していることに、一口飲んで気がついた。

「…辰巳、お前1日の勉強時間どれぐらい?」
「部活なくなったし、5時間はできるようにしてます」
「……」

手招きしてコーヒーを飲みながら頭を撫でてやる。喜んでいるのはよくわかった。尻尾があれば振り回しているだろう。

「真面目ね」
「だって少しでも先生にいいとこ見せたいし」
「三上に爪の垢飲ませてらっしゃい」
「…また三上のこと考えてるんですか」
「あいつのことで頭いっぱいよ。今年の3年、タチ悪いのはあいつぐらいだし」

ある意味お前も、とは言わない。大人しくなったなと思い辰巳を見れば、目が据わっている。

「…手出ししちゃダメよ。俺の仕事増えるから」
「……」
「ちゃんとあんたのことも考えてるから」

辰巳はぽっと頬を染める。まるで少女のようだが、実際には子どもが顔を見て逃げだしたことがある。

「笠井うまく使えないかな〜…」
「三上は笠井の言うこと聞かないでしょう」
「だよねえ、後輩のお願い聞くようなタマじゃないわな」
「じゃなくて」
「ん?」

辰巳が窓のそばへ寄り、中西を呼ぶ。何気なく窓の外を見下ろし、中西は思わずガラスにへばりついた。

「えっ!?」
「三上いっつもあんなんですよ」
「……」

三上と、それ以外。あれは確かサッカー部の1年だ。ふたりで寄り添い、顔を寄せる。外道、中西は呟く。

「…って何おっぱじめようとしてんのあいつら!」

中西は白衣を翻し部屋を飛び出す。幾ら人目につかない場所だとは言え、校内であんなことは許さない。ほぼ全力疾走で中庭まできて一息つく。そっと様子を伺うとかなり盛り上がっているようで、泣きたくなりながら行こうとした。のを、掴んで引き止められる。反応する前に三上へ向かっていったのは、件の笠井だ。げっ修羅場、嫌いな現場に中西は顔をしかめる。
近づく笠井にふたりは気づかない。三上は草の中に後輩を押し倒し、なだめすがすのに一生懸命だ。どうするのか見守っているとようやくふたりは笠井に気づき、しかしその瞬間に笠井は三上の頭を力いっぱい蹴り飛ばす。中西の血の気が引いた。慌てて飛び出した中西が追いつく前に、笠井はもう2、3発決めている。1年生は真っ青だ。

「笠井!」
「俺だけじゃないの知ってたけどこうも呑気だと俺だってキレますよ、あんたこんなことしてる間にそのピンク色の脳みそ使って少しでも勉強したらどうですか?こんな高校卒業することすらできないような男についてく気なんかないねぇよ、就職先だって決まってないバイトも続かない、どんだけ生活能力ねぇんだよいっつもいっつも口ばっかり偉そうでさあ!こっちだってあんたのせいで進級ギリギリだってのに邪魔してくるわ相手にしなかったら浮気するわで今度こそ呆れた、もうあんたとは手ェ切るから」
「えっ、かさ…」
「名前だってあんたに呼ばれたくねぇよ、へたくそなくせしてやりたがって。中西先生なんとしてもこいつ卒業させて下さい二度と顔見たくないんで」
「まっ、待て笠井!他の奴は遊びだって、お前は特別で」
「消えろ」

うわあ。中西が拍手しそうになったほど凶悪な表情でさっくり三上を切り捨て、笠井はさっさと歩いていく。呆然とする三上にはいいお灸になっただろう、いつだって笠井が三上を見限ったことはないのだ。世間の誰に見捨てられても、笠井だけは。

「…罰って当たるのね」

三上がびくんとした。お前明日放課後指導室、言い残して笠井を追う。明日まで待つのはせめてもの情けだ。早足で歩く笠井に追いついて肩を叩けば、涙が地面に落ちる。

「…やっぱり先生も何発か決めてくるわ」
「ダメですよぉ〜…」

戻る中西の白衣を掴んで引き止める笠井はぼろぼろと泣き出している。精一杯の虚勢だったのだろう。迷いながら、白衣を頭からかけてやって準備室まで連れて帰る。

「…逮捕したんですか?」
「違うよ。お茶」

辰巳はすぐに動く。落ち着いてきた笠井に温かいお茶を出して、白衣で涙を拭くのを複雑そうに見ていたかと思うとハンカチを差し出した。

「……俺だって、遊びだってことぐらいわかってたんです」
「笠井」
「あんな人でも好きなんです……」
「…俺は、恋愛沙汰まで口挟まないけどね」
「思いっきり蹴っちゃった…」

うんあれは見事でした。辰巳を怒らせないようにしよう、と中西は教訓として心に刻み込む。俺は三上みたいにドジ踏まないからいらない心配ですけどね。

「…俺は、遊びじゃないように見えたけどな」
「辰巳先輩…」

騒がしい足音が廊下に響き、中西が顔を出してみれば当の三上だ。中西を突き飛ばすように入ってきて、笠井の腕を捕まえる。怒った様子だったのが、泣き顔を見てひるんだ。

「…外道ー、人間のクズー、人でなしー」
「うるせえ!」

辰巳ごと中西を廊下へ押しやってドアを閉め、三上は再び笠井へ向かっていく。溜息を吐いて辰巳を見上げた。

「…お前は、俺が遊びだったらどうする?」
「中西先生はそんなことしません」
「わかんないよ?」
「…それでも俺は」
「……いい子すぎるなあ」

自分が忘れてしまった素直さに顔をそらしてしまう。辰巳が覗こうとしてくるが、こんな顔は見せられない。

「……ちょっと待て、あんたたち中で何やってんの!?」

ドアを揺らしてみれば用意周到な鍵までかかっていて、中西は自分を呪った。

 

061111

 

 

 

 

007

『大晦日……ですね』
「ああ、お前実家帰るんだろ?俺友達と飲み行くから」
『……何て?』
「え?」

ぶつっと電話が途切れ、三上は呆然とディスプレイを見た。通話時間3分25秒。スタートダッシュのならしをすっ飛ばし、周りを引きつけないシュートだ。

「……は?」
「どったの?」
「……」

友達に首を傾げてみせるとキモい、と評された。しかしふざけてみても仕方ない、三上は携帯を睨みつけて考える。いつも何だかんだで引っ張り出し、文句を言う笠井と無理やり大晦日から正月にかけて一緒にいた。高校最後ぐらいは笠井にも何かあるだろうと気を使ったつもりが、なぜか怒らせてしまったらしい。笠井を怒らせてしまうのはいつものことだが、いつも以上に理不尽だ。あのわがまま、毒づいて携帯を鞄にしまう。口にしなければわからないと何度言えばいいのだろう。難しい男に溜息を吐く。
状況がわからないも人の不幸を笑っている友人が憎い。彼の誘いを断るべきなのかどうか迷う。こっちは別にどうとでも言い訳はできるが、笠井がどこに怒ったのかわからないままではどうするべきなのかも決められない。電話をかけ直しても出ないだろう。それだけは自信がある。何度となく和解を阻んできた壁だ。

(…次のコマサボれば部活終わりに間に合うか?ギリだな…電車何分だっけ、誰かからチャリ借りて走れば…歩いても一緒か。…中西が今日休み、…ダメだ辰巳がフリー。他に笠井引き留められそうなのは……藤代は絶対使いたくねえし)
「三上顔怖い。せっかく俺のためにいい顔に生まれたんだから大事に使え」
「どうして谷田くんには顔が伴わなかったんだろうな、中身はいい奴なのに」
「黙れ…!」

 

*

 

結局笠井と連絡がつかないまま大晦日を迎えた。周りの人間からも連絡をさせない徹底ぶりで、笠井支持率の高さを改めて実感する。ありがた迷惑な友人ばかりだ。三上の家では兄が昔から大晦日から正月にかけて遊びに行っていたことが多かったせいか、三上が帰って来ないことについては何も言わない。親戚の集まる2日にはお年玉の回収に戻ることをわかっているのだろう。

(…お年玉っていつまでもらえんだろう。兄貴いつまでもらってたっけ…)

オールだオールと騒いでいた連中はカラオケへ向かったようだが、三上は笠井が気にかかって抜けてきた。ほろ酔いで戻ってきた部屋は酒のせいか少し暖かい。笠井に電話をしようかと頭をよぎったが、もしつながったにしてもあの不機嫌な声を聞くのかと思うとうんざりする。ないとわかっていてもメールの確認を何度もしてしまった。付き合いは長いが謝られたことはそんなにないような気がする。知るか、と思い直し、部屋の電気もつけずにベッドへ向かった。
一人暮らしの狭い部屋は結局大掃除などしていない。布団をめくって冷たさにもうんざりする、はずが、なぜかそこは暖かい。ぎょっとして電気をつけると人が寝ていて、思わず数歩引いた。頭に浮かんだのは110番。しかし寝息をたてるその人物は、よく知ったその人で。

「……不法侵入…」

合い鍵は確かに渡してある。しかし何も告げずに笠井が使ったことはない。

「…笠井、起きてんだろ」
「……」
「…後で何言っても聞かねえからな」

こっちを向かない笠井の首筋にいきなり歯を立てそのまま吸いついた。肩を押さえて体を倒し、怯える目を振り切ってキスを落とす。動揺しながらも指先が三上の袖を掴んだ。冷たい手を服の下に滑り込ませると小さな悲鳴が上がる。

「バカッ…」
「…あのな、言わなきゃ何もわかんねえって」
「ッ…」

痛い、の文句も聞かずに布団に潜り込んできつく抱きしめる。布団の中にいても暖まらない手が首を絞めるように巻き付いてきた。

「なんでッ…」

小さな、かすれた声。いつのまにか完全に手放せなくなっている。逃げないものを強く抱く自分が馬鹿らしい。

「なんで俺があんたといたくないなんて思うんですか!」
「…俺といたいみたいじゃねえか」
「バカ!」
「そういうのを口で言えって言ってんだよ…」

やばい。ほんとにこうまで生意気なのに可愛いと思ってしまうのは、もう逃げられないところまできてしまっているからだろう。なんと言われようと。可愛くないことばかり言う口を塞いで、問答無用に服を脱がす。冷たさから逃れようとする寒がりをそれでもなお押さえつけて、乱暴とも言える動作で触れた。知り尽くしたのは体ばかりで、諦めに似たものを宿す瞳の奥では何を考えているのか何もわからない。

「三上先輩のバカ…」
「何とでも言え」
「酒臭い…」
「うるせえ」
「…口で言って下さいよ」
「…したい」

触れる手を遮られてキスでごまかす。抵抗の手は緩まない。やめてやると何か言いたげな目が三上を見る。

「口で言えよ」
「…したきゃすれば」
「かっわいくねえ…」

 

*

 

「あー…年明けちゃった」
「何」
「冷蔵庫にいわし…」
「……寝ろ」
「いわしの頭も信心からですよ」
「そりゃ節分だろうが」

布団に押しつけた笠井は恨みがましい目を向けてくる。ほだされそうになる自分が不思議だ。乱れた髪を直す腕にまだ夏の名残が残っている。来年には見られないのだろうか。来年から笠井はサッカーを離れる。自分たちをつないだサッカーを。携帯で時間を確認する笠井と一緒にディスプレイを覗き込む。

「…毎年、一緒じゃないですか」
「大晦日?」
「だから、俺は予定空けてたんですよ…なんも考えずに、あんたといるもんだと思ってた」
「…嫌がってると思ってた」
「嫌なのに毎年一緒にいるわけないじゃないですか」
「……」

ダメだこいつ。かなわないと感じながら肩に頭を落とす。這わせた手に笠井は一瞬眉をひそめ、目を細めて三上を見た。

「笠井」
「先輩…あの、電話出ていいですか?」
「…毎年恒例…」

着信を告げる携帯を差し出されてうんざりする。どうしてあのバカは去年のことをすぐにリセットしてしまえるのだろう。笠井の手から携帯を奪い、三上が通話ボタンを押す。

「お前毎年毎年かけてくんじゃねーよ!」
『げぇっ三上先輩!?タク今年は一緒じゃないって言ってたのに!』
「一緒何だよ!切るぞ」
「わっ待って!」

慌てて携帯を取り戻す笠井に溜息を吐き、少しの間に冷えた体を抱きしめて布団をかぶる。明るい声に嫉妬する自分が信じられない。

(消えたい…)
「誕生日もおめでとう」
『あーありがと。俺兄貴からエロ本もらったんだけど可愛くねーの。見る?』
「いいよ、ひとりで見て」
「さっさと切れ」
「……うるさい人がいるからまた電話する」
『あーうん、先輩もおめでとうって一応言っといて』
「さっさとしねえと触るぞ!」
「何でそういうこと言うんですか!」

文句を言わせたままにしておいて携帯をもぎ取る。ベッドから落として、藤代の声が聞こえるのも気かずに笠井の口を塞ぐ。暴れる手はそのうち力を抜き、通話も途切れたようだ。一度起きて風呂に入ってから寝直そうなんて思っていたこともふっとんで、一度冷静になった笠井が声を殺すのを見ながらも手を伸ばす。さっきまで持っていた熱を再び探り出して手に入れて、何度もキスばかりを交わす。

「…去年は別だったな」
「…先輩受験でしたもんね。明るくなったら初詣行きません?」
「いわしどーすんだ」
「あれは年越す前に食べなきゃいけないんですって」
「…そのうち使う」

もう少しの間黙ってろ。すぐに冷たくなる体を必死で抱いた。

 

070103

 

 

 

 

008:

「……誰ですか三上先輩潰したの」
「俺かなあ」

ハアイと手を挙げたのは中西だ。笠井は腰に巻き付いてくる三上とまだ酒をあおる中西を見比べて溜息を吐く。先日の三上の誕生日を祝おうと、昔の仲間に連絡を取ったのは中西だ。
もちろん誕生日など口実で、同窓会のようなものに近い。立派に成人したかつての少年たちに酒が入っても結局呆れ顔で片づけをしているのは渋沢だったり、厄介事しか引き起こさないのは藤代だったりしている。会場は中西のマンションだ。ぎょっとするような値段の部屋に住んでいるだけあって広さはある。

「そおんな簡単に酔い潰れちゃうようなやつ見限って俺にしない?」
「中西先輩、あなたのツレも潰れてます」
「俺は寝不足だ…」

割り勘ならば容赦なく飲む辰巳が起きあがる。熊か何かのような迫力があった。中西の手からグラスを奪って一口飲み、顔をしかめる。

「それチャンポンしてますよ。日本酒とチューハイ」
「悪食…」
「辰巳が言えるセリフじゃねーだろ!」

絡んできた近藤に辰巳は更に難しい顔をした。近藤は酒が入ると正直になりすぎるところがあり、流石に笠井もフォローが思いつかない。中西は失礼ね、と近藤をど突く。彼が素面なら近藤の危機はまぬがれなかっただろう。酔いが醒めたときに中西の記憶に残っていないことを願うばかりだ。

「笠井は今年卒業か?」
「いえ、休学して海外行ってたのでまだ」
「ああ、そうか。音楽に進むのか?」
「多分、実家でピアノ教室やろうかなって。あっち戻ろうかとも思ったけど、先生容赦ないから」
「辰巳もさっさと卒業しちゃいなさいよー」
「留年したような言い方するな」
「あ、6年制でしたっけ」
「笠井!」

唐突に三上が顔を上げた。三上を肘置き代わりに使っていたので強力な笠井のエルボーが決まる。悶絶する三上をバカにしながら額を撫でてやると喜んだ。酒のせいで気持ち悪いほど素直になっている。

「笠井」
「ハイハイ何ですか」
「向こう戻ったりするなよ」
「三上先輩……」
「俺の気持ちは円周率より長いぞ!」
「…は?」

次の瞬間近藤が笑い出した。力の限りの大爆笑は近所迷惑にも思えるほどだ。聞き逃したらしい中西がきょろきょろしている。聞かれてなくてよかったと、運命に感謝する。

「……捨ててきます」

三上を引っ張り上げ、笠井はそれを引きずった。ベランダを開けて放り出して自分も外へ出る。カーテンを閉めることも忘れない。外は少し風があるが寒さを感じなかった。

「笠井」
「何言ってんですか」

バカだなあ。持って出た缶ビールで火照った頬を冷やす。隣に座った三上がもたれ掛かってきた。姉の生んだ、まだ首の座っていない子どもを思い出す。 本当は学校などやめて戻って来いと言われていた。卒業を盾に帰ってきたので、それまでに決めてしまわなければならない。即戦力とまではいかないものの、プロチームと契約した三上とは離れて暮らしている。今日も会うのは久しぶりだ。

「変なこと言ってないでシャキッとして下さいよ」
「誰が変なことなんて言った?」
「変なことじゃん」

恥ずかしい、バカみたいな。笠井が照れを誤魔化そうとする隣で、酔っ払いは何で、と詰め寄ってくる。俺は本気だぞ、と手を取られ、酔いの熱さに呆れた。酔っ払いがどこまで本気かなどわからないし、本当に本気ならばなお悪い。笠井はロマンチストではないが、そんな面白い告白を受け入れるほど情緒のない人間ではないのだ。

「笠井」
「…はいはい、わかりましたって」
「わかるか、エンドレスだぞエンドレス。少なくとも、俺の生涯じゃ間に合わねえぞ」
「はいはい」
「わかってんのか?」
「わかってます、聞いてますよ。あんたも23になったんだからもうちょっと冷静に飲んで下さい」
「笠井、今日、帰る?」
「……聞いちゃいねえ」
「たまにはさ、お前んち行っていい?」
「──いつでも来ていいっつってんのに」
「邪魔じゃないか?」
「あんたぐらいが邪魔になるような軟弱な人生じゃないんでね」
「強いなあ」
「……バカ」

強くなければ三上とこんなに長い時間を共にできるはずがない。誰のために強くなったと思っているのか。

「ちゃんと好きですよ」
「ほんとにか?」
「ほんとにです」
「鋤ってあれだぞ、農具」
「あんたどんな脳みそしてんの?」

クソ、ここから突き落とせればどんなにいいか。ビールの残りをあおって缶を空ける。アルコールの回らない自分の体が恨めしい。一瞬でも、嬉しいと思ってしまった自分こそバカみたいだ。未だ末の見つからぬ円周率にたとえるような恋愛の色気のなさに笑ってしまう。

「……あんたがこんなにベロベロじゃなきゃ連れて帰るのに」
「酔っ払い差別はんた〜い」
「……やだなもう…」

寒気を覚えて笠井は立ち上がる。三上をほったらかして部屋へ戻った。これ以上こんな酔っ払いに付き合ってはいられない、風邪をひいてしまう。近藤がグラスを手に三上の隣へ出て行った。酔っ払いは酔っ払い同士で仲良くしていればいい。辰巳は心配そうにベランダを見ている。

「で、笠井くんは三上くんのことどれぐらい好きなわけ?」
「……さあ、円周率馬鹿よりは愛せてるんじゃないですか?」

 

060207

 

 

009:

騒がしくしていた人間は帰っていき、部屋で一息着いたところに携帯が震える。散々散らかされた部屋を片づけていたのを邪魔されて、苛立ち紛れにそれを受けると瞬間に気分は落ち着いた。さっきの詫びだとかを聞きながら部屋を見回す。家出同然に家を飛び出し、借りた新居にはまだ家具らしい家具はない。毛布が一枚部屋の隅に追いやられ、テーブル代わりの空っぽの段ボールが部屋の真ん中に置かれている。電話の声が遠い。

「ないよ、わかんない。急ぐの?────取りに来れば、」

フローリングの床に手のひらを押し当てる。クーラーで冷たくなっていて、頭まで冷やそうとするのにすぐに手のひらに吸い込まれていった。誰のだかわからない髪が落ちている。鍵開けて、電波が乗せて運んだ声は、笠井が聞き慣れた声だった。多分そのうち合い鍵を作るんだろうなぁ、携帯を下ろして、思う。
マンションの玄関を開けて、ドアの向こうに三上。携帯を握ったまま笠井を見る。オートロックって面倒くせぇな、廊下に声を落とす。
誰かが逃亡中の犯罪者が隠れてるようだと表現したその部屋、笠井が見る中で三上は忘れ物を見つけ出した。あったと呟く背中を捕まえると三上は無言で振り返る。じっと見返す。どちらから合図があったわけでもなく勢い任せに抱き合って、倒された笠井が頭を打った。笑い合ったのは一瞬であとは呼吸も捨てる。

「笠井……なんで大人数なわけ」
「や、俺が聞きたい」
「だってなんか勝手に携帯見てんだもんあいつら……」
「ばか。痛いし」
「……そうか、絨毯ねぇのか。買えよ」
「絨毯買うなら布団買うし。ていうか買って?」
「媚びても買わねえ」
「ガンバったら買ってくれる?」
「買わねえ」

かたい床で抱き合って、かたまらない未来をささやく。現実と夢を呟く。逃せない涙を熱にする。
痛いと何度も呟いた。かろうじて引っ張ってきた毛布に汗が落ちる。息もしないで声を殺して、体に張り付くものは遠くへ投げた。携帯への着信も聞こえない。意識を手放しそうな一瞬まで、体は少しも離れなかった。

虚ろに宙を眺める間に三上は汗を流して出てきた。風呂場狭いよなぁと聞こえて、それだけで何を考えているのかわかって呆れる。目を閉じると何処かの部屋から音楽が聞こえた。曲名を呟くと三上が聞き返し、面倒なので口を閉じる。冷蔵庫が開いた音。

「……お腹空いた……」
「お前、これ冷蔵庫の電源無駄だぞ……空じゃねぇか」
「氷入ってるんだよ」
「氷……」

カップに水道水を注ぎ、その氷を落として三上は毛布へ戻る。一枚きりの毛布にくるまった笠井にそれを差し出し、今度はティッシュを探して床を拭いた。ゴミ袋、呟くと笠井は指を差す。

「……絨毯なくていいか、楽だな」
「つうかもう床でやんないし……」
「さっさと布団買えよ」
「なんで先輩すぐに床で盛るわけ、俺寮の絨毯焼却したい」
「思い出になっていいんじゃねぇの」
「……いらないよ、そんなタチの悪い思い出なんか」

絨毯なんか絶対買わない。思わずあんたがいれば何もいらないのにと口走りかけて、氷水のカップを額に乗せた。

 

060925

 

10

笠井ちゃんから派生したパラレルです。家庭教師な三上が最低な話ですのでご了承下さい。

 

 

顔で何かが変わるわけでもないのに母は男前見つけてきたわよ!とその日から興奮していた。大学受験に向けて来てもらうことになった家庭教師は、あいにくヒットマンではないがそこそこの大学の学生だとかで、まだ受験生初心者の竹巳には名前ばかり知っているその学校の程度がわからない。わからないなりに第一志望の学校であり、たまたま縁があったのを母が見つけてきたのだ。父親が複雑そうにしていたのをふっと思い出す。
──お父さん、外見は似てなくても私は立派に母の娘です。嫌になるほど血のつながりを感じた一瞬。化粧の手抜かなきゃよかった……母が至れり尽くせりと世話をしているその男、今日から自分の家庭教師になる彼は顔を上げて竹巳と目を合わせた。サッカーをやっているとかで、クラスのただ格好ばかりのサッカー部員とは違う好青年っぷりは、母でなくとも見とれる爽やかさだ。

「僕でよければ精一杯やらせていただきます」
「じゃあね竹巳、しっかり教えていただくのよ。あとでお茶でも持ってきますね」

お母さんが教えてもらいたいぐらいだわ、竹巳の数学の教科書をかつて指で摘んで捨てようとした人とは思えない発言を残して母は部屋を出ていく。慣れない年上の男性を前に、竹巳は汗ばんだ手のひらをデニムの膝で拭いた。こないだ買ったワンピース着ればよかった、なんて。

「──さて、竹巳ちゃん、授業しようか」
「は、はいっ」
「そんなに緊張しなくていいよ。俺も足崩していい?正座慣れなくて」

思わず笑うと彼も一緒になって笑った。子どもっぽいだけではない無邪気な笑顔に、竹巳の心臓はわずかに脈を 上げる。

「三上先生……」
「先生ってなんかくすぐったいな、お母さんみたいに気軽に呼んでよ」

母のように、『亮くん』などと呼べるはずがない。三上亮さん──竹巳は特別少女趣味でもロマンチストでもないが、それでも少しは考えた。こんな素敵な家庭教師なら、もしかしたら──
母親が紅茶とお菓子を持ってきて、またしばらく話をして出ていく。なかなか授業にならない。母親が出ていってようやくふたりになって、三上はテキストを差し出した。

「はい、テキトーにやって」
「……は?」
「どうしてもわかんなかったら聞いて。俺も課題ヤバいんだわ」
「……あの」
「……先に言っとくぜ、竹巳ちゃん。俺が欲しいのはお金だけ、ついでに美人の奥さんに縁ができれば大歓迎。 青臭い女子高生みたいなガキに興味はないから一切期待すんな、どうしても教えてほしいってんなら恋のレッスンをABCから教えてやるけどよ」

まあよろしく頼むぜ、俺の可愛い金鶴ちゃん?そうしてむける笑顔は、さっきと同じ爽やかな、しかし仮面を感じさせるもので。ほれちゃっちゃと始めろ、お前の成績上がんなかったら覚悟してろよ。自分は自分で何か本を取りだして読んでいる。
最低だ。思わず呟いたが三上は笑っただけだった。最低だ──だから、この母から継いだ一目惚れ体質は厄介なのだ。

(ヤバい、ちょっと、泣きそう……)

 

*

 

「やだっ何これ!竹巳ちゃんって数学致命的なのねッ!?」
「亮さんキモい」
「なんだこれ、数学かろうじて二桁かよ。もうあれだって、バカにつける薬はない」
「……」

黙って睨みつけても相手にダメージはない。今回は三上がいたからまだましな方で、実際その成績表を見せたとき母は飛び上がって三上を誉め倒している。どんなひどいことを言われても結局嫌いになれずに始めのテストが終わった。実際聞けばきちんと教えてくれはするが、いちいちけなすことは忘れない。絶対にこんな男は嫌だと思うのに。

「詐欺師……」
「詐欺はお前だよ、真面目そうな顔してこんな本」
「本?……わーっ!!」

三上の手から慌てて奪ったその本は、友達に押しつけられたものだ。最近よくある、真面目な親ならいかがわしいと怒りそうな類の少女漫画だ。ちなみに自分の母は喜びそうだからこそ持って来たくなかったのだが、いつの間にか鞄に入れられていたらしい。

「過激だなあ竹巳ちゃん」
「わたしのじゃないですッ!」
「えーでも読んだんだろ?えっちぃ」
「違いますッ!」
「まあまあそう恥ずかしいことでもなしに。みんなそんなもんだろ?」
「知りません……」

本をベッドの下に押し込んで、竹巳は無理やり勉強を再開する。最悪だ。溜息を吐くと三上が隣に寄ってきた。顔を上げると真剣な表情でこっちを見てくる。

「……な、なんですか」
「竹巳ちゃんは男に興味ないの?」
「はあっ!?」
「携帯に入ってんのも女の子ばっかだし」
「いつ見たんですか!」
「家庭教師として竹巳ちゃんの未来が心配なのよ、ワタシは」
「だからなんでオネエなんですか」
「うちの学校来るんだろ?まああの数学の様子だとわかんないけど」
「はいはいもういいです!これからですよ!」
「うちの学校ガラ悪いのも多いからさ〜、心配なのよお兄さんは」

そう言って竹巳の頭を撫で、笑いながら顔をのぞきこんでくる。──そうやって、竹巳に対してあまりにも無防備すぎるから惑わされるのだ。興味がないなら放っておいてくれればいいのに。

「……今はっ、受験のことしか考えてないだけです!」
「そうなの?もったいなねえ、高校で遊ばないと損するぜ」
「よけいなお世話です」
「つうか竹巳ちゃん、お願いがあるんだけど」
「……なんですか」

三上の口からお願い、などと聞くとは思わなかった。真面目な表情で見つめられて、不覚にも動揺してしまう。

「僕のお友達とお友達になりませんか?」
「……は?」
「実は僕この間麻雀で負けて女子高生を紹介することになってしまったんですよ。助けると思って!」

この通り!土下座した三上のつむじを見て、竹巳は完全にフリーズした。竹巳ちゃんなら可愛いからマジで適役だと思うんだよね、と顔を上げた三上がさらに硬直する。派手ではないけれどすっぴんだったことがない竹巳は確かに友人好みの顔をしていて、一度写真を見た彼にせがまれていたのを今までずっと断ってきた。それは三上の中に少なからず独占欲のような感情があったからだ。従順な竹巳を妹のように接してきたのだが、──こんな表情は初めて向けられた。わずかに目を細めただけだが、どこか悲しげな。そんなに悪いことを言ったかと焦る亮さんをしばらく見て、竹巳は顔を緩めた。

「今ほんとに受験でいっぱいなんです。数学もこの通りだし」
「え、ああ……」
「あ、でもそれって賭けなんですよね?そうしないと何かあるならわたし……」
「あ!いやいや!いいよ、ごめん忘れて」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫大丈夫、適当に流すし。それよりマジで数学やろうぜ」
「ほんとにちゃんと教えてくれるんですか?」
「するする。クビになっちゃたまんねえ」

お互い相手の表情をのぞき込むようにして、どちらからか笑い出す。竹巳がノートを開いた。

 

*

 

「あのバカ……」

夜中になって来たメールを抱えて思わず泣き出してしまう。見なかったふりをしようとするのに、手が硬直したように携帯を離してくれない。

「バカ……」

結局友人を説得できなかったのようだ。やっぱりアドレス教えていい、なんて、わたしがどんな気持ちで読むと思っていたのだろう。返事を返せないのは初めてだ。明日には返そうと、決意して。

「……」

やっぱり無理だろうか。妹のように扱われているのは知っている。もしかしたらペットぐらいかもしれない。考えれば考えるほど涙が止まらなくなってくる。……諦めれば楽になるのだろう。どうにか涙を抑え、滲む視界の向こうにディスプレイを見る。三上のメールはいつも簡潔で、要件しか書かれない。バカみたいなメールは嫌いだと言ったことがあるから、いつも気をつけて返事を作る。経験のない竹巳にはアピールするようなメールを送れなかったし、普段だってなんだかんだで勉強している時間ばかりだ。

(……ていうか、亮さんって彼女いるのかな…)

そんなことも知らない。怖くて聞けなかった。友人は大学生の彼氏がいたりとするが、自分にはそんなことを想像できない。持て余すばかりの恋だった。諦めてしまえば──……嫌いになれるなら、なっているのに。

 

*

 

「竹巳ちゃん…」
「あ、こんにちは」
「……普通?」
「え?」
「返事くれなかったからさ…」

ビクビクしながら入ってきた三上を笑い、竹巳は笑顔で対応する。携帯お風呂に落としちゃったんですよ。

「メール送ってくれてたんですか?見てなくてすいません」
「いや、いいけど。携帯どうすんの?」
「……次のテストの成績次第で。だから亮さん頑張って下さい!」
「頑張るのは竹巳ちゃんだろ!」

いつもと変わらない様子で笑う竹巳に安心し、三上はようやく尻を落ち着けた。友達のいる場でメールを送ったのだが返事はなく、お前嫌われてんじゃねーの、と友達に指摘されて少し傷ついていたのだ。今日の様子を見るとそういうわけではないらしい。

「よっしゃ、ほんじゃ竹巳ちゃんの携帯のために頑張りますかね」
「そうですよー。気に入ってたのになあ」

竹巳がテキストを開き、ここわかんなかったんです、と示した問題を三上が覗き込んだ瞬間、軽快なメロディーがふたりの間を割いた。今まで勉強中に何度か聞いたことのある、笠井が気に入って着メロにしていた音楽。

「……竹巳ちゃん?」
「……ごめんなさい。亮さん、わたし」
「何で嘘吐いた?嫌なら嫌って」
「亮さんが好きです」
「……は、」
「好き」

教え子の真剣な表情は何度も見てきた。少し頬を赤めて、真っ直ぐ自分を見る瞳。──考えたこともなかった。今思えばこんなにもわかりやすいのに。

「……俺、」
「あっ……ごめんなさい変なこと言って!……忘れて下さい」
「でも」
「勉強しなきゃ。……どうしても女子高生がいるなら、友達紹介しますけど」
「あ!い、いや、それはもういい!」
「大丈夫ですか?」
「ああ……」

ふっと笑った竹巳の表情は今までに見たことのないものだ。気にしたことがないだけかもしれない。

「……本当に、気にしなくていいですよ。亮さんが年上好きだってことは嫌と言うほど知ってるし」
「すいません……」
「あ……でも、お母さんはやめといた方がいいですよ。単純に、警告」
「?」

 

*

 

「あ、僕ちゃん」

帰ろうとする三上を引き止めた母親は、目があった三上ににっこりと笑顔を向けてくる。人懐っこい笑顔だが、呼び止めたときの声はトゲだらけだ。

「うちの娘泣かしたらバイクにつないで引きずり回すから覚悟しとけよ」
「お、お母さん…?」
「このあたしから生まれたのに奇跡のようによくできた娘でしょ?あたしはあの子が可愛くてしょうがないの」
「……」
「何言いたいかわかる?」
「…お母さん、ヤンキーだったんですか?」
「人よりちょっと過激な青春を送っただけよ」
「……」
「ゆっくり考えてね、僕ちゃん?」

 

070227

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送