016

パソコン貸して、と部屋に来てから、笠井は机の前から動かない。普段使わないキーボードに悪戦苦闘しているので、替わろうかと聞いたが断られた。どうせこれだけじゃないし、と。文化祭関係で使用するものらしい。実行委員になったとかで、笠井の身辺は忙しくなった。確かに大した活動をしない運動部ではあるが、それにしてもよくやるなと感心してしまう。笠井にないがしろにされてしまう点では不満が残るが、楽しそうにしているので三上は何も言わない。毎年のお決まりのように合唱コンクールではピアノを弾くらしく、本当に時間がないのはわかっている。
音がしなくなったのに気づいて顔を上げると、笠井の手は止まっている。呼びかけるとびくりと肩を揺らした。溜息を吐くと弁解するように振り返る。

「やってやるから寝ろ」
「でも」
「能率悪いだけだろうが。30分で起こしてやるから飯まで寝てろ」
「……じゃあ、少し」

観念した笠井は危なっかしい足取りでベッドに向かい、無言で布団に潜り込んだ。かわって三上はパソコンの前につき、そこに置かれた下書きを持ち上げて一瞬硬直する。何故笠井が断っていたのかわかった。下書きもいいところ、書き込みすぎて手をつけにくい。しばらく考えた後、消すのは一瞬であるから全て打ち込んでしまうことにする。後でまた聞けばいい。
笠井は自分で忙しくしてしまう嫌いがある。いつも何かしらを急いでいるような気がして、そのたびに三上は捨て置かれるのだ。笠井が言うにはこの癖はましにはなっているらしい。何もしない時間が苦手だと言うから、三上がいることでその時間を埋めることができているのだろう。笠井とは違い軽快にキーを叩きながら考える。

一通り必要そうな部分は終わり、保存をして時計を見るとちょうど30分ほど経っている。あいつ起きれるかな、自分で言っておきながら不安を感じつつベッドへ近づいた。気配ぐらいじゃ目覚めない。この短時間での熟睡は笠井にしてみれば珍しいことだ。呼びかけながら肩を揺らすが、やはり眉一つ動かさない。

(……言わねえけどさ、溜まってんだよ俺……)

笠井に自分の影がかかっている。平穏な寝顔。ぐっと拳を握り、手を伸ばす。

「起きろッ!」
「ッ!」

強制的に意識を引き戻された笠井はがばっと起き上がり、三上に背を向けたまま殴られた頭を撫でて壁を見る。こっちだこっち。寝ぼけた目で三上を見た笠井は、しばらくあとにああ、と声を漏らした。それがなぜか艶っぽく聞こえて、誤魔化すためにまた叩く。

「起きたか?」
「あい……すいません」
「飯行くぞ飯」
「三上先輩の夢見たよ」

久しぶりにここで寝たからかもしれない。確かに覚醒したらしい笠井は三上を見上げる。

「……お前、夜こっち来る気あるか」
「……多分集中できないけど、先輩がしたいなら」
「したい」
「ストレートだなぁ」
「構ってられるかよ」
「ごめん。……目がちょっと、怖いよ」
「そうと決まれば飯だ。行くぞ」

三上が先に部屋を出ていき、重い頭を抱えた笠井はつけっぱなしのパソコンを覗く。やっぱり仕事が速い。もう少し頼った方がいいのかもしれない、それが三上のためになるのなら。

(────ちょっと待て……俺すげぇこと言っちゃった……)

させてやる、ような言い方だ。最低、小さく呟いてみる。かと言って積極的にしたいわけではないのは事実だ。

(……文化祭終わったら言うこと聞いてあげよう……)

何を言われるか一瞬考え、首を振って立ち上がる。

 

060930

 

 

 

 

017unnotice

ノックしろよ、と普段うるさく言ってくるわけがやっとわかった。そして人間の思考が停止したとき、本当に体が硬直すると言うことも。
その場で言えば、3人が思考を奪われ石化していた。真っ先に人間性を取り戻したのは三上で、藤代を中に引き込んでドアを閉める。その音の大きさでやっと我に返り、ええ?と声を漏らした。自分のことながらひどく間抜けで、でもこれどうしようもねぇだろと自分に言い訳をする。

状況を整理するために少し戻って考え直してみる。漫画を借りようと部屋のドアを開けた。そこは渋沢と三上の部屋で、渋沢がいないのは知っていたのでノックせずに開けてやったら、煌々とした白熱灯の明かりの下、三上が藤代のルームメイトである笠井と向き合って手を取り、────今にもドラマチックなことが始まる寸前だった(のだろうと思う、テレビドラマを信用するなら)。

「……ええ〜?」
「その微妙な反応やめてくんない……」
「だって……え〜〜〜」

笠井が何か隠しているのは知っていた。元々自分のことをべらべらと話す人間ではないから、わからないことは多い。それを無理に追求するほど子どもではないから何も言わなかったが、……これは、ない。彼女でもいるんだろうかと思ったこともあったが、これはない。

「どういうこと……」
「……見ての通りだよ」

開き直ったような口調の三上がムカつく。笠井は後ろめたさもあるのか、藤代と目を合わさない。どっちつかずの位置で顔を伏せている。

「……付き合ってるんスか」
「そうだよ」
「タクは男っスよ」
「俺だって男だよ」 「それでも?」

それでも────そうか、笠井を変えたのは三上か。あの背筋に定規を入れたようなクソ真面目に休むことを教えたのは、気楽に毎日を見つめる余裕を与えたのは。気づかなかった。

「……俺、難しいことはわかんないけど、秘密にしときゃいーんですよね」
「ああ」
「うん…まぁ、うん……」

頭の中を色んなことが駆け巡る。混乱、だ。今まで平和に生きてきた脳みそに投下された爆弾は、その後遺症まで後を引く。
考えの定まらないまま立ち尽くしている藤代を引いて、三上が廊下に追い出した。ぎっちり胸ぐらを掴んで引き寄せられる。

「お前、俺はどうでもいいからあいつを嫌ってやるな」
「……ハァ」
「俺に嫌われるより、お前に嫌われるのが怖いんだと」

手が離されたかと思えばドアを閉められた。ただでさえ忙しかった脳内にまた新たな情報を入れられて、藤代はその場で苦悩する。

「…気づかなかった」

いつの間に、笠井にそんなに好かれていたのだろう。いつも適当にあしらわれるから、てっきり嫌われているのだと思っていた。いや、嫌われているとは大袈裟だが、しかし付き合っているという三上よりも。

「……誠二?」

ゆっくりドアが開けられた。その先にあるだろう言葉を待って、考え直すことにしよう。

 

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「……先輩って、いつから俺のこと好きなの」
「……おま…今言うか?」

じゃれあいの延長から今までどうしてもたどり着かなかったベッドにようやく押し付けて、過去にサッカー部の脚力で蹴りつけられたことを思い出して警戒しながら、それでもそろそろとキスをした後の痛恨の一撃。いっそ蹴られた方がましだったかもしれない。笠井の胸に頭を落とし、三上は泣き出しそうなのを耐える。俺の緊張を返せ。

「だって」
「…知らねえよ!」

キスだけはうまくなった。先へ進む勇気がなくて、それでもお互いの気持ちを確かめる術を他によく知らなかったから。生意気な口を塞いで柔らかい皮膚を舐めて、ぞくぞくっと鳥肌が立つのを感じながら続ける。時々聞こえる水音にあおられる。荒い息を殺して唇を離し、そっと笠井を見れば赤い顔をしている。潤んだ目と視線がかち合った。

「…先輩 顔赤い」
「…お前だって」

この先へ、進んだ後はどうしたらいいんだろう。進む前から考える。後悔するのだろうか、傷付けるだろうか。それでも体は正直で、指先が震えるのを誤魔化しながら笠井の服に手をかける。

 

*

 

「ってさあー、お前可愛かったよなー」
「……中学卒業して高校卒業して成人して、そんだけ長い間一緒にいて今更キスぐらいで照れてたら気持ち悪くない?」

それが可愛くねえんだよ。人のベッドであぐらをかいて、かろうじて雑誌からは顔を上げた笠井は冷たい目で三上を見た。どうしてこうも可愛げがなくなったのだろう。しつこく言ってやるとあんたのせいでしょうが、と一蹴する。ほんとに可愛くねえ!がっと立ち上がって襲いに行っても逃げやしない。心底可愛くない。

「じゃれるってなんだっけ…」
「あんたのその顔、久しぶりに見る」

いつぞやのように頭を垂れて嘆く三上の顔を持ち上げて、不敵な表情を向けてくる。いつまで経っても、どんな表情を向けられても、可愛いと思うのだ。自分よりひとつ年下なだけで、おまけに成人もしておっさんの気配がしてきたって。俺も趣味悪いなと顔をしかめる。

「俺のこと好きとか思ってる?」
「お前中西でも乗り移ったの?」
「知ってて惚れたくせに」
「いいや知ってたら惚れなかったね」

こんな女王様。可愛くないことばかり言う口を塞いでついでに首にも噛み付いて、挑戦的な目を向けられてもやめない。

「俺も覚えてるよ、先輩がどんなに可愛かったか」
「は?」
「俺のためなら何でもできそうって言った」
「いッ……言ってねぇよ!」
「言ったよ」
「言うかッ!」
「じゃあ今なら言える?」
「…今こそ言えねえ」

俺に何をさせたいんですか、女王様。じゃれあいはここまで、ここから先はお前の優位にさせる気は全くない。足を持ち上げてその指に噛み付いて、体がはねたのを笑って舌を這わす。変態、やっぱり可愛くない声が毒づいた。

「――――で、いつから?」
「……付き合い始めた頃好きじゃなかったのは確かだな」
「ひどーい」
「お前だって似たようなモンだろうが。今がよけりゃいいんだよ」
「俺は三上先輩が可哀想だから好きになってあげただけだからね」
「お前の方がひどいじゃねーか」

首が痛くなるほど無理に顔を引っ張られて鼻に噛みつかれた。誰が、お前のために何でもできるって?バカ言うな、お前のせいで何にもできねえ。

 

061103

 

 

 

 

020:

高速道路を走る長距離バスの車窓から、派手に着飾ったラブホテルに明かりがつく瞬間が見えた。なんだかむなしくなってブランケットを頭までかぶる。
関西から東京へ戻るバスの中は無言だった。前の席の親子の会話だけが時々聞こえる。隣の三上を盗み見るようにブランケットの透き間を開けるが、丸めた背中が見えただけだ。その背中に、終わりが近づくのを感じる。もう1時間もすればバスは駅に着くだろう。ふたりの別れを想像して、できれば自分が最後まで不満を抱いたままであればいいと思った。するならば、二度と会うことがないだろうと決心したい。

ここ数ヶ月、不機嫌な顔で不機嫌な言葉を並べる三上しか見ていなかった。子どもじみて不機嫌な表情と不機嫌な声でしか返せなかったのはどうしてなのだろう。いつまでも甘やかしてもらえるとでも思っていたのか。きっかけも具体的な内容も思い出せないのに、長い間いがみ合っていたような気がする。無条件にずっと一緒にいるのだといつからか思いこんでいたけれど、社会と言う場に出るようになってからふたりの関係は確実に変わってしまっていた。きれいな言葉を使うなら、すれ違い、とでも言うのかもしれない。
今月に入ってから、三上が旅行に行こうと言った。ご機嫌取りではないことはわかったので頷いた。この男はどこまでもロマンチストだ。ふたりで旅行らしい旅行に行ったことはないから、つまりそういうことなのだろう。ただ、三上が仕事の休みを取ったのが少しだけ嬉しかった。すべてを任せたら行き先は三上の地元だった。宿泊費はただ、そう言った三上に、久しぶりに笑って返した。それは旅行と言うのだろうか。これは、旅行だったのだろうか。それでも、日常から離れている間は以前のふたりのようになっていた。

 

蛍を見に行った。三上が常に自嘲するように田舎だと繰り返すだけあって自然の多い場所で、家の前を飛んでいた蛍に感動しているともっと多くの蛍が見れる場所まで彼の父親が連れていってくれた。会ったのは過去に一度、ふたりでいようと決意して挨拶をしにきた以来初めてだ。最後になるだろうとは気づいていなかっただろう。家族連れやカップルが月に浮かぶ沢には蛍が無数に飛び交っていて、少ねえなと呟いた三上の声も聞かずに息を飲んだ。生まれてから行事ごと以外で東京を離れたことのない笠井から見れば完全に異世界だ。三上が捕まえてきた蛍を手のひらに載せて、飽きずに長い間冷たい光を瞳に映していた。そのうち飛んでいってしまった光を目で追って空を見れば、蛍に負けない星空が広がっている。
きっと、目がくらむような夜空のせいだったのだろう。つないだ手に顔が熱くなったのは。隠れてつないだ手を離せなかったのは。冷たい夜風を蛍以上に思い出す。
短い旅の間で何度もキスを交わした。それ以上触れることはなかったけれど、キスだけはしたくてしていた。それは三上も同じ気持ちだったと思いたい。ブランケットの中で自分の陳腐さを笑った。

近所の子どもに付き添って花火をしたのは昨日の夜だ。アニメが始まるだとかで、大量の花火に飽き始めていた子どもたちが帰ってしまったあと、なんとなしに無言で花火を続けた。ろうそくの炎を見ながら花火に火をつけ、飽きていたのは子どもたちと同じなのでアスファルトを焼いた。
海に行きたかった、今初めて思いついたことを口走る笠井の口を三上がふさいで、それから短くなってしまったろうそくが更にじりじりと短くなる間、触れるばかりのキスを繰り返す。おそらくお互いに相手が言い出すのを待ちながら。結局どちらも決心ができずに、明日に控えた旅行の終わりの話を遠回りしながら話しては中断して唇を合わせた。なんだか空っぽだったと思う。誰かとふれあいたくてお互いしかいないからすがっていたけれど、正しかったのかどうかわからない。
その夜も見事な星空で、拍手をした笠井を子どもたちが不思議そうに見ていたのを強烈に覚えている。三上のような悪い男にはなってはダメだとしっかり言い聞かせておけばよかった。こんな、いらなくなった男ひとりをさっさと捨てる度胸もないような半端な優しさを持ってはいけないと伝え忘れた。

 

星が見たくて窓を見ると窓側に座った三上が目に入る。いつの間にか窓に背を向け、頼りない寝顔をこっちに向けていた。
──そうか、いつから寝顔を見ていないのだろう。ゆっくり寝顔を眺める時間がなくなっていたことに初めて気づく。涎でも垂らしかねない薄く開いた口と、時々寄せられる眉間の皺。何年経っても変わらない。恐らく変わったのは自分なのだ。彼はいつだって自分を崩さない。寝顔を見るために夜中にこっそり起きたような日々を思い出す。起きない程度にいたずらをしてみたり、起こすつもりでちょっかいをだしたり。どうしてあんなに楽しかったのだろう。

恋をしていた。そのときはそうだとわからなかったけれど、あれは確かに恋だった。

昼から走り出したバスは夕闇をまたぎ、夜へ向かう。薄闇の彼方に星は見当たらない。バス内に次の停車場を告げるアナウンスが流れ、その声で三上が目を開けた。笠井と目が合って戸惑っている。
身を乗り出して寝ぼけたような三上にキスをする。三上が窓に頭をぶつけた。見えない星空に願いを。

 

 

070729

 

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