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cf.054

 

 

 

「三上先輩今日誕生日なんだって」
「……へえ」

あの日から1年経った。ずっと思い続けて今年、三上先輩は卒業する。あと2ヵ月、卒業と言ってもエスカレーター式のこの学校だから、そのまま繰り上がるんだろうけど。早くしないとまた遅刻だよ、誠二に声をかけながら鞄に教科書を入れる。鞄の底にある箱を潰しそうになって、誠二にばれないようにこっそり動かした。……こんなものを買ってどうするつもりなのか、自分でもよくわからない。プレゼントなんて、少し親しい程度の後輩から突然もらっても困るだろう。
ただの自己満足だ。渡せなくてもいい。今日が終わってしまえば用はなくなる。明日には捨ててしまおう。ぐっと拳を握り、ネクタイを締める。落ち着け、今まで通り、いつも通り。俺は笠井竹巳で、三上先輩とはポジションも地元も違う、ただの後輩だ。

「先行くよ!」
「待って、今日数学あるっけ?」
「あるよ」
「教科書ない!」
「知らん!」

誠二に構っている暇はない。早くしないと三上先輩が行ってしまう。……今日ぐらいは、声をかけて、一緒に歩いてもいいだろうか。いや、おめでとうだけ一言言えれば、……わがままになる。三上先輩が優しいのを知ってる。深呼吸をして誠二につき合って机や本棚を見ていたが、鞄にあった、とあっさり言われてさすがに殴りつけた。
窓の外を見ると、三上先輩と中西先輩が学校へ向かうところだ。笑う顔が少しでもこっちへ向かないだろうか、女々しい思いを振り捨てて部屋を出る。今日が三上先輩の誕生日なんて言われなくても知っている。もう一生忘れないかもしれない。

1年前の1月22日、俺は初めて恋に落ちた。周りが騒いでるほど楽しいものじゃない恋に。初めての恋の相手が男だなんて我ながらヘビーだと思う。誰にも言わないままのこの気持ちの消化の仕方がわからない。この間から急に冷え込んで、気をつけないとまた風邪をひきそうだ。冬に生まれたあの人は、寒さの中で声をあげる。あの日俺にはすごいものに見えた。どう表現したらいいのかわからない。
今日はいつものように気温は低いけど天気は良くて、日差しは暖かい。昨日降った雪は嘘みたいに溶けていて、だけどやっぱりグランドの状態はひどいらしくて朝練は中止になった。昨日はカイロなんて役に立たないぐらい寒くて、歩きながら凍死するんじゃないかと思っていた。1年前の今日もやっぱりこんな風に晴れてはいたけど、とにかく寒かった記憶ばかりだ。

「さっぶ!朝練ないとゆっくりできるな〜」
「でもないならないで調子狂うよね」
「まあね〜、あ、三上先輩じゃん」

先に角を曲がった誠二の言葉に硬直しそうになりながら、平静を装ってついていく。誠二の声で振り返った三上先輩と中西先輩に挨拶をした。おはよう、と笑顔で返してくるのは中西先輩で、今日は起床時間が遅いせいかいつもほど不機嫌ではない様子の三上先輩も簡単に挨拶を返す。おめでとうございます、と言っても大丈夫だろうか、唐突すぎるだろうか。

「あっ、三上先輩ハピバ!」
「略すな」
「俺三上先輩と同じ年の間一瞬だから面白くないなー」
「藤代いつだっけ?」
「1月1日っす!」
「あら、今月だったんじゃん」
「正月に生まれるからそんなおめでたい頭になるんだ」
「おめでたいってなんすかー」
「……誕生日おめでとうございます」
「おう」

誠二の存在はいつも持て余す。ありがたいのは疎ましいのかわからない。それでも緩く笑い返してくれる三上先輩に嬉しくなる。まだ少し眠そうだ。マフラーに口元をうずめているだけで、コートは着ていない。誠二に至ってはマフラーもないけど、俺はさすがにコートを着ないと耐えられない。今年は暖かいと声をそろえてみんなが言った去年の冬も俺はコートなしでは外に出れなくて、学校と部活以外ではほとんど外に出なかった。

「お前らそれだけかよ、プレゼントは?」

どきん。鞄を持つ手に力が入る。かじかむ指先が震えそうだ。1月に入ってから誕生日だと言うことが頭から離れなくて、思わず買ってしまったプレゼント。渡すとしても今は渡せない。……渡して大丈夫なのだろうか。買ってからずっと悩んでいる。はげるんじゃないかと思ったぐらいだ。

「ないっすよそんなん、三上先輩こそ可愛い後輩にプレゼント下さい!」
「誰が可愛いって?笠井ならまだしもお前が言うな」
「ひいきだ、差別だ!キャプテンに訴えてやる!」
「俺はあいつと違って博愛主義は理解できねえんだよ」

心臓に悪い朝だ。同じような応酬を何度聞いてもどきりとする。俺が可愛いと言われているわけではなくて誠二が可愛くないと言っているのだと言うことはわかっているのに。俺は女じゃないし、この1年で背も伸びて身長だって三上先輩とほとんど変わらない。柔らかくないしいい匂いもしないし声変わりもした。まだひょろいとか頼りないとか冷やかされることもあるけど間違いなく男で、多分三上先輩を好きになったのはなんかの間違いだ。可愛らしく神様を恨むようなこともできない。……それでも多分、ぶっきらぼうな優しさや試合中の真剣な目や、ふざけて笑う声も、全部を追いかける気持ちは三上先輩を好きだと言う女子と同じだろうと思う。同じ寮にいる自分の方が、フェンス越しに三上先輩を見ている彼女たちよりよっぽど嫌な部分を見ているはずなのに、それでも思いは変わらない。もしこっちを向いて笑ったら、名前を呼んだら、俺だけを見たりしたら。そんな悲しくなる妄想をしてきた。こんな感情、きっと三上先輩が卒業するまでだ。毎日会うから心臓が休む間がないだけで、条件反射で跳ねるだけで。

「そういや、去年三上と笠井が行方不明になったのも三上の誕生日だっけ?」
「あー、あったなそんなん。大袈裟なんだよ、行方不明って。なあ笠井」
「そうですよ」

振り返った三上先輩に頷いて返す。たった、数時間のことだ。三上先輩とふたりきりになったのは。あの日がなければ今の俺の気持ちはない。どっちがよかったんだろう。三上先輩を苦手なままの1年と、三上先輩を好きになった1年と。どっちにしろ避け気味なのは同じだろうけど、少なくともあの日ふたりきりにならなければ、こんなプレゼントを重い物のように抱えていなくても済んだのに。ああ、なんで買っちゃったんだろう。絶対渡せるはずがない。

「面白かったなあのとき、駆け落ちじゃないのって大騒ぎだったし」
「駆け落ちって言ってたの中西先輩だけっすよ」
「はは……」

1年前、三上先輩とふたり、図書室に閉じこめられた。朝から放課後までの数時間。担当者が確認せずに鍵を閉めてしまったせいだった。昼休みには開くはずだったのが忘れていたのか面倒だったのか、結局5時間目の途中まで、ストーブもない寒いあの部屋で。さすがに午後には大騒ぎで先生たちが探していたらしいけど、旧館にある図書室にいるとは誰も気づかなかった。窓の外には中庭の木しか見えなくて、建物の中なのに息が白くて、途中で三上先輩が書庫のストーブを見つけなければ死んでいたんじゃないかと本気で思う。寒かった。誰も気づかないと言う心配はなかったけど、あのとき、閉じこめられたとわかったときは、図書室に行ったことを死ぬほど後悔した。
もし今、また、ふたりきりで閉じこめられたら。俺はどうするだろう、と取り留めもなく考える。くだらない、虚しい妄想だ。この1年で俺はずいぶんと想像力が豊かになったと思う。

何気ない話題に加わったり離れたり、三上先輩の後頭部や横顔を見ている間に学校に着いた。今日1日、彼はいろんな人に誕生日を祝われるのだろう。そのうちのひとりでしかない俺は、やっぱりプレゼントなど渡すべきじゃない。意味深だ。俺だったら気持ち悪い。あげるならもっと簡単な、誠二のときみたいにお菓子か何かでいいだろう。今日まで何度もそう決意したはずなのに、捨てられない物はまだ鞄に入っている。今日こそ捨てよう。……この小さな箱と一緒に思いを捨てよう。終わりにしよう。卒業式に泣きたくない。

「じゃあな」
「じゃあね、また部活で」
「はーい」

誠二が中西先輩に手を振り返し、俺は会釈で返す。三上先輩と目が合った気がした。俺の妄想だけど。

「三上先輩プレゼントいっぱいもらうんじゃないかな、中西先輩のときすごくなかった?」
「うーん、中西先輩は別格じゃない?他校混ざってたし」
「結構三上先輩狙い多いらしいよ、わっかんねー!誠二くんの方がイケメンだと思うけどなー」
「多分三上先輩もそう思ってるよ」
「思ってそう。あの人性格悪いもん」

そうだ、と唐突に思いつく。図書室に置いてこよう。この1年で俺はたくましく乙女へと成長した。センチメンタルな気分のときは、思い出の場所でちょっとだけ泣いて、そうして最後にしよう、なんて思いついてしまった。返事をしない俺に誠二が振り返って、慌てて誠二に言われたくないんじゃない、と返す。

「えー、こんな天使のような俺を捕まえてなんてこと」
「天使は俺のプリンを勝手に食べない」
「また返すってば」
「当然!」

教室に着いて荷物を机に置き、誠二は窓側の俺の席を陣取る。この教室は窓から「愛の隔壁」が見える数少ない貴重な場所で、俺の今の席は特等席だ。にこにこしながら誠二は窓の外を見ている。朝早くから女子がふたり、寒いのにフェンスの向こうで笑い合っていた。あの子たちは誰が好きなんだろう。三上と笠井の名前が並んだ南京錠を見つけたときは、俺は夜中に夢遊病患者のように出歩いて自分でつけたのかと思った。人の気も知らないで、女子は残酷なことをする。

そのうち誠二が身を乗り出した。……席替えをしてから、誠二は毎朝これが日課になった。フェンスのすぐ向こうに、花壇がある。もちろん冬の今は何もない。でもこんな天気のいい日、あの花壇の縁にちょこんと座って、鼻を赤くしながら一心にフェンスのスケッチをしている子がいる。今日も天気がいいから来たみたいだ。話したこともない彼女をいつも見ている誠二は幸せそうだけど、噂を聞くとあの子はちょっと変わった子らしい。確かにこの寒い季節に、しかもフェンスの絵を描いて何が楽しいのかわからない。芸術家ってそういうものだと言われたら頷くしかないけど。

「俺、告白しようかな」
「……え、だって話したこともないんでしょ?」
「あー、じゃあ、話しかけてみようかな。俺のこと知ってるるかなあ」
「さあ、あんまり興味なさそうじゃない?」
「……何描いてんのかなー」

告白、だなんて突然言うからびっくりした。いつも自信をみなぎらせた誠二はいつもぎょっとするようなことを言ってくる。どこからそんな自信が湧き出すんだろう。俺ももう少しサッカーがうまければ違うんだろうか。……いや、自信があったって、告白なんて考えたこともない。時々誠二が羨ましい。ネガティブなつもりはないけど、例え女の子を好きになってても、俺には話したこともないのに告白しようとは思えない。俺は男で、三上先輩も男だ。少し変わった女の子とはわけが違う。
クラスメイトが近寄ってきて誠二を冷やかした。お前は見るな!と彼を押し返す誠二をクラスメイトと一緒に笑う。俺は独占欲を持てない。代わりにどんどん卑屈になる気がする。やっぱり今日を限りに思いは捨てよう。今度こそ、誓って。冷たい窓に寄りかかり、額を寄せて頭を冷やす。じわじわ体を冷やす感覚に冬を恨んだ。あの人が冬生まれでよかった。嫌いな季節にあの人を思い出せば、少しだけ許せる気がする。

視線をフェンスとスケッチブックの往復だけに動かす彼女はこっちを見たことがない。だから、きっとそういうことだ。こんな場所から自分を見ている人がいるわけないと思っているのだ。もし気づけば見せ物になっているのが嫌で来るのをやめるかもしれない。三上先輩だって、俺の気持ちに気づかなかったからこの1年、あの日を境に少し親しくなれてから、ずっと笑顔を見せてくれている。告白なんてとんでもない。あの顔が歪んで俺を見たら、きっと立ち直れないだろう。でも黙って思い続けるのも疲れてしまった。女々しい自分にうんざりする。
彼女が立ち上がるのを見て、そろそろ予鈴だと知る。誠二に教えると窓の外を見て、その横顔は間違いなく恋をしていた。俺には決してできない顔だ。羨ましいと思う。好きな人を見て、笑いたかった。楽しい恋がしたかった。

 

 

*

 

 

じゃんけんで負けた。俺はこれから先、1月22日はいいことが起こらない気がする。寒がりの俺を知ってるくせに、よろしくーぅ!と無駄にテンションの高いクラスメイトは俺にゴミ袋を押しつける。ゴミを捨てるには外に出て裏門のゴミ捨て場に行かなきゃいけない。チョキを出したことを死ぬほど後悔しながら、このまま図書室に行けばいい、とポケットにプレゼントの箱を押し込んだ。存在感に息を詰めて、それを無視してマフラーを巻きつけてゴミ袋を持ち上げる。無駄に重い。厄日じゃなければなんなのか。誰も手伝ってくれないし。都合のいいときだけ親友だろ、と甘えてくる誠二を恨む。俺も手伝わないけど。
こういうのは寒さに強い人間がやるべきだ、恨み言を浮かべながら外に出て、風の冷たさに身を震わせる。死ぬ。絶対死ぬ。図書室なんかとは比べものにならない寒さだ。北風と太陽が戦っているのだとしたら俺は太陽の味方をする。もっと頑張れ。

ゴミ袋を捨てて、一刻も早く寒さから逃れるつもりで近くのドアから入る。旧館に人の気配はほとんどなかった。職員室に向かう途中、三上先輩の声が聞こえて立ち止まる。思わず窓の外に目を遣った。どうして窓が開いているのだろう。閉まっていれば気づかなかったのに。
三上先輩は去年と同じマフラーを無造作に巻いて、フェンスの前に立っていた。姿はほとんど三上先輩で隠れているけど、向こう側に女子がいる。あまり見たことがない光景だけに、俺は硬直していた。気づかれるかもしれない、行かなければ。そう思うのに足が動かない。俺には出せないかわいい声が三上先輩を呼ぶ。

「つき合って下さい」

その瞬間に足を叩いて走り出す。なのにどうして、三上先輩の返事がしっかり聞こえてしまったんだろう。肯定の返事が、すぐに返されていた。もつれる足で新館にある職員室に向かい、ノックもそこそこに鍵を掴んで再び旧館へ向かう。今は使われていない、あの日閉じこめられた図書室へ走った。俺は何を期待していたのだろう。期待していた。もしかしたらいつか、なんて。あの優しさは後輩に対するものだと思っていながら振り切れなかった。ばからしいと思うのに、好きだった。焦がれた。あの暖かい手が、自分に触れることを望んでいた。

飛び込んだ図書室のドアを閉めて、真っ直ぐ部屋の隅へ向かう。1年前三上先輩と並んで話をしたあの場所には、古くなった新聞紙がまだ本棚の隙間に残っていた。埃っぽくて鼻がつんとする。不思議と涙は出ない。突き刺さるような寒さが全身を襲っている。感じているのはなぜか恐怖だった。この場所に三上先輩はいない。図書室が旧館から新館に移されたのは去年の夏だ。あのときから、少なくとも三上先輩はここに来ていない。図書委員をやろうかなと言っていたのはただの冗談だったのか気が変わったのか、聞く機会を失った俺にはわからないけど。新しい図書室で三上先輩に会ったことはない。もう誰も閉じこめられないように施錠しない代わりに司書の先生が常駐するようになった。
しゃがみ込んで本棚を見上げたら、そこは1年前と何も変わらないのに、三上先輩がいないだけでまったく違う風景だ。ポケットの箱が腿に刺さって痛い。取り出して包装を破り、箱から万年筆を取り出す。三上先輩は覚えてないんだろうなと思う。去年万年筆が欲しいと言ったこと、お互いの誕生花で笑いあったこと、あの日俺が落窪物語を読んでいたこと。

しばらくそこにうずくまっているうちに、吹奏楽部の練習が聞こえてきた。音を外したトランペット。卒業式は何をやるんだろう。今日限りで思いを捨てると誓った今朝の思いは打ち砕かれ、寒さに体を小さくしながらしばらくあの日のことを思い出していたけれど、細かいことは覚えてなかった。あんなに長い時間、一体何を話していたんだろう。
握りしめて体温の移った万年筆を、1年前に開かれた誕生花の本の上に乗せた。そのとき初めて涙が零れて、そこから決壊するように溢れ出す。床にへばりついて泣く俺を客観的に見てバカにしながら、1年間の思いの終わりを知った。伝えられない思いを、涙と万年筆と一緒に、ここに閉じこめてしまおう。

寒さが意識をつなぎ止めて、涙はすぐに止まってしまった。失恋なんてこんなものなのだろうか。失恋にしなきゃいけない。恋を失わなければ、俺は前に進めない。誰もいないか確認して図書室を出て、トイレで鏡を見ると予想してたほどひどい顔じゃない。誤魔化せる程度になってから新館へ向かった。職員室にこっそり鍵を返し、新館の図書室へ向かう。遅れてすみません、と入っていくと司書の先生が心配していた。遅れたことがないからだろう。じゃんけんで負けてゴミ捨てをしてきた話をして、外がいかに寒かったか大袈裟に話すと先生は笑った。俺も一緒に笑えただろう。

カウンターに入ってから、初めて手のひらの傷に気づく。いつから握りしめていたのかわからないが、爪の跡が鬱血するほど強く握っていたらしい。そっと傷を隠して、首を振って涙をやりすごす。もうあの手は俺の思い出からも抜け出した。本当に、好きだったのだ。卒業まであと2ヶ月。

 

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