始まったのは夏だった。ならば終わるのも夏だろう、漠然とそう感じていたのを、あるとき三上が一笑に伏した。
何寝言言ってんだ。何かが新しく始まったって何も終わりはしない。

 


夏 色 哀 歌


 

部屋に呼び鈴が鳴り響いた。三上は舌打ちをしてソファから起き上がる。寝癖もあるような気がするが、この部屋に訪ねてくる人間ぐらいなら今更のことだ。
安眠を妨害された三上は、いらつきながら乱暴にドアを開ける。寝ている間は忘れていたこの暑さに顔をしかめて。

「はい」
「あ…ごめんなさい、寝てました?」
「…笠井」

そこに立っていたのは、今は会えないはずの笠井。ためらった様子で、遠慮がちに三上を見上げる。

「あ…とりあえず、中…」

ドアを大きく開けた三上に表情を明るくして、笠井は一歩中へ踏み込む。
三上は笠井を引き寄せながらドアを閉めて、強く笠井を抱きしめた。笠井も三上を抱き返す。

「先輩」
「あ〜…久しぶり…」
「はは、どれぐらい経ったのかわかんないですけど」
「笠井…」
「…あの、いきなりなんですけどシャワー貸してくれません?風呂入ってなくて」
「…キスして」
「…ん」

一瞬だけの唇に、三上は名残惜しそうに笠井を手放した。
────水音を聞きながら、三上は冷蔵庫から出したお茶をあおる。飲むと言うより流す感じだ。この真夏の暑 さはひとりならば耐えるが、笠井が来たので冷房を入れた。
…三上は二十歳になった。進学した大学でもやはりサッカー三昧で、音大へ進んだ笠井とも会う時間はなかなか取れない。なんだかこのまま中途半端になりそうで、どうにかしようと足掻き始めたのは、いつだっただろうか…

 

*

 

「…うちは大丈夫だと思うぞ?」
「…」

緊張した面もちで笠井が頷く。その様子はかえって不安だ。

「…大丈夫か?」
「…変なこと言いそう…」
「大丈夫だろ。兄貴もばらしてるし」
「…どきどきする」
「どら」

三上が右手を笠井の左胸に当てた。シャツ越しの体温が熱いのが、この日差しのせいではないことはわかる。

「早いな」
「三上先輩なんでそんなに余裕なんですか…」
「同じようなもんよ、俺も」

笠井を引き寄せ、景気づけ、と額に唇を落とした。

「いざ出陣」
「うぅ…」

笠井の手を引いて三上は戦地へ乗り込む。敵対するは三上家だ。
気合いは入れたものの、ふたりの足は進まない。ぐずぐずしているとドアの方が先に開く。

「いらっしゃい」

優しく迎えたのは父親だった。

 

*

 

「先輩…寝てる?」

髪を拭きながら笠井はソファへ向かう。三上の部屋にベッドはないが、伸ばすとベッドのようになるソファがある。それを広げた上であおむけになった三上は寝ているらしい。
さっきまで寝ていたんじゃないのかと笠井は少し笑って側にしゃがみ込む。三上の顔の両側に手をついて見おろした。濡れて束になった髪が視界に落ちる。
規則正しい呼吸。体を完全に上げて三上の体をまたぐ。そのまま薄く開いた唇を塞いだ。途端に強く抱きしめられる。

「ッン…ん」

濡れた髪が三上の肌を刺すがそれも構わずキスは続く。

「っ…起きてたんですか」
「寝るわけねーだろ」

ぐっと笠井の腰を抱き寄せる三上に笠井が笑う。

「…先輩、俺がやっていい…?」
「…笠井」

三上の手から抜け出して、笠井は三上の服に手をかける。下着から取り出したものを握り込むと三上の体が震えた。

「…こんな昼間っからだけど」
「…」

指先の熱を包む。もういつからこの体温に触れていなかったのか。

(触っただけでイきそう…)

 

*

 

初めに静寂を破ったのは父親だった。緊張したふたりを貫く強い声。

「聞いておくが冗談ではないんだな」
「あんたに冗談が通じるなんて思ってないよ」

返事を返す笠井の声も冷たい。隣で聞いている三上には、とても肉親に向ける声には聞こえなかった。

「それなら話は早い。別れろ」
「!」

淡々とした口調の一言に、三上は思わず声の主を凝視した。そこにあるのは、軽蔑の目。

「竹巳…いつから?」

消えそうな声を発したのは母親。笠井が視線を柔らかくして、だけどどこか哀れむような目で母親を見た。

「中学の時から」
「…」
「だからサッカーなんて反対だったんだ」

話にならん、と父親は立ち上がる。話をしないのはあんたじゃん、笠井が呟くのも聞かない。

「今日のところはお帰りを。竹巳、お前はうちにいなさい」
「…じゃあ誰と寝ればいいの?」
「!?」
「…冗談だよ。先輩ごめん、話せる状態じゃないから。また連絡します」
「…わかった」

三上は渋々立ち上がって、笠井の両親に向かって礼をした。返ってきたのは刺すような視線だ。笠井が誘導する ようにふたりは玄関へ向かう。

「…ごめんなさい」
「いや…ちょっとビビったけど」
「ごめん…」

笠井の目が光った気がして、三上が顔を覗き込もうとする。笠井の背後で床の軌みが聞こえた。

「…先輩、忘れ物」
「!」

笠井が三上に口付ける。一瞬笠井の背後が見えてしまった三上はすぐに離れた。

「じゃあね先輩」
「あ、あぁ…」
「冷蔵庫の中の物、賞味期限気を付けて下さいよ」
「わかった」

何か言いたげな視線がこっちを睨んでいる。笠井はそれを無視して、三上を見送ってから2階へ上がった。
出来れば帰ってきたくなかったこの家に帰ってきたのは、こんな結果のためじゃない。駄目だとわかっていても吐き気が襲ってくる。

「…うっわ」

殆ど生活感の残らない自分の部屋から電話の子機が消えていて笠井は寒気を覚える。
それは当然だろう、普段は使いもしないのだからおいていても無駄だ。だけどくだらない推理小説のように子機のあった位置だけ埃をかぶっていない。

「…あ」

自分の間抜けさを呪って笠井はドアに体を預けた。
携帯を下に忘れてきた。

 

  *

 

「うわっ…会ったの?」
「会った…」

割り箸を割って中西は手を合わせる。頂きますとつぶやいて、食べる前に三上を見た。

「実は俺も1回見たことあるんだけど、凄いよね。特に父親。笠井は常識しか認めない人って言ったけど、常識が過ぎて非常識って感じの人だもんよ。失礼だけどさ」

中西は再び頂きますと言って、今度こそうどんを口に運ぶ。しばらく考え込んで、三上もざるそばに手を伸ばした。

「んで、昨日は帰ってこなかったのね」
「泊まれって言われてたからな。…なぁ、俺」
「残すべきじゃなかったんじゃないの?」
「…だよなァ…」
「現代のお姫様は大変だね、ドラゴンより父親の方が怖いか」
「ハァ…」
「ついでだから教えとくよ」
「あ?」
「笠井のお父様、クレー射撃もたしなむんですって」
「…………」

 

  *

 

「だから、誠二に電話するの。知ってるでしょ、藤代誠二!」

叫ぶように言って笠井は溜息を吐いた。母親はさっきから不安そうに電話を持ったまま困っている。

「じゃあ父さんがかけてよ、そんなに俺を信用しないならさ。はい、番号これだから」

持っていたメモを父親に押し付けた。しばらくしてからそれをやっと受け取り、彼は母親から電話を受け取る。ひとつひとつ数字を確認しながら押して行き、最後のボタンを押してから相手が出るのを待つ。

『もしもしー?』

声が漏れてからようやく、父親は電話機を差し出した。
俺は一体何様なんだ。笠井はいらつきながらそれを手に取る。

『もしもーし』
「ごめん誠二」
『あ、タクかぁ。携帯は?』
「取られた。三上先輩に聞いてない?」
『いんや、会ってないもん。どうした?』
「近いうちに暇ある?」
『今暇ー』
「じゃあ俺の実家の方こない?ちょっと出れなくてさ」
『あ、行く行く!』
「じゃあ迷ったりしたら電話して」
『はいはーい、すぐ行くね』

笠井は電話を切って父親に返した。何か言いたげな視線を見ない。
ほんとにすぐ、といった早さで藤代はやってきた。笠井は玄関で待っていたのですぐに中へ入れて部屋へ入る。

「見て、窓」
「あれ、格子入れたの?泥棒でも入った?」
「じゃないよ。俺が窓から出て行くからだろ」
「…なんで?」
「三上先輩に会いに」
「会えないの?」
「……カミングアウトした」
「…誰に」
「親に」
「…………えぇッ!?」

動揺を隠せず藤代が叫んだ。階下の両親の耳にも届いただろう。

「…ごめん、あんまり大きな声出さないで。あの人たち来るから」
「あの、あの、でも…サッカーにも反対だったんだろ?お父さん」
「そう。だからさ、三上先輩挨拶に来たのに別れろって、話も聞かずに帰したんだよ。信じらんない」
「あ〜…俺もさっき睨まれたしな…」
「スポーツ選手なんかみんな馬鹿だと思ってんじゃないの?音楽馬鹿の癖にね」

いらついた様子で笠井は立ち上がって窓の外を見た。何もない。自分を救い出す王子なんてそこにはいない。
落ち着きなく再び藤代の前に座った。

「…タク荒れてんね」
「荒れるよ。三上先輩が来たのいつだと思う?」
「……」
「1週間前。それから会ってない声も聞いてない」
「うわぁ…」

笠井が机に突っ伏した。気持ちがどうも落ち着かない。

「もぉ…禁断症状出そう…」
「もう出てんじゃん」
「…出てる?」
「顔にほしいって書いてある」
「………くそー…」

今度は後ろに倒れこんで天井を仰いだ。知っている天井ではあるが見慣れない。

「…聞いていい?」
「何?」
「タクってさ、親のこと嫌いなの?」
「直球だなぁ。嫌いだよ」
「直球なのはどっちだよ」

藤代は苦笑して足を伸ばした。笠井の足の裏とぴたりと合わせる。
昔からそうなのだ。中学高校と寮生活であったから、友達との会話に多く出る家族のことも、笠井は殆ど話したことがない。

「…てーか…血ィつながってないんだよね」
「え!そうなの?」
「はっきり知らないけど、聞かないから。俺は父さんが好きだった人の子らしいよ。…誰だか知らないけど、重ねてるんじゃないの?俺とその人」
「……」
「俺だって武蔵森のサッカー部推薦で入れたんだよ、何でわざわざ一般で受験しなきゃならなかったのさ」
「何で?」
「サッカーさせたくなかったから。勉強して入ったら納得したけど」
「…うちはもっと簡単だったけどなー、リフォームの話は伸びたけど」
「いいよなーァ…あの頑固親父…年食って更に頑固になったし…」

 

  *

 

「いつまでそうする気だ」

億劫そうに箸を口に運ぶ笠井に耐えかね、父親はついに口を開く。
楽しくあるべき家族団らんの夕食風景だが、その空気はどこか重い。

「それはそっち次第だけど」

少し懐かしいと思う夕食の味も、気持ちを上回りはしない。
体内を占める不快感、中西の声を思い出す。なんだって気持ちのいい方がいいでしょう、飯食うのもサッカーすんのもセックスも。

「…私はお前を心配して」
「知ってるよ。でも心配なんか要らない。どうして心配は出来るのに俺の気持ちは考えてくれないの?」
「世間のことも考えろ!」
「あんたの体面が気になるなら縁でも何でも切ってよ。ちゃんと考えてる、いろんなことも見てる、知ってる。なんで人間から否定するの?」
「別に否定してはいないだろう」
「してるよ。父さんが三上先輩の何を知ってるの?」
「…三上亮20歳、両親と兄と姉がひとりずつ。武蔵森高等部卒業後大学へ進学」
「…うっわタチ悪。ご馳走様」

笠井は溜息を吐いて箸を置いた。そのまま部屋に戻って閉じこもる。
あの調子じゃもっと詳しく調べているのだろう。わかっていない。そういうことを言っているのではないのだ。

「竹巳」
「…何?母さん」
「入ってもいい?」
「どうぞ?」

遠慮がちに部屋の戸が開いて、母親がそっと入ってくる。いつもはハープを弾く繊細な指が、所在なさげに体の前で組まれていた。

「…あのね、お見合いをしてみない?」
「…見合い?――――父さんの知り合い?」
「そう…」
「俺女の子なんて抱けないよ?」
「!」
「…ごめん。母さんに当たってもしょうがないか」

笠井は彼女に椅子を勧める。小さく首を振られた。
母親のことは決して嫌いではない。むしろ好きであるのだが、どうしても理解できないのだ。なぜあの男なのか。

「会うだけ会ってくれないかしら」
「…どうせもう言ってあるんじゃないの?」
「…さぁね、どうかしら」
「いいよ、気分転換にはなるし。――――外に出れるなら」
「…わかったわ」
「母さん」

部屋を出て行きかけた母親を、笠井は咄嗟に引き止める。かすかに微笑んで彼女は振り返った。

「…母さんはどうしてほしい?」
「…楽器の出来ないお嫁さんがほしかったわね。料理が出来る人がうらやましいの」
「…そっか。先輩はピアノできちゃうんだよね。…関係ないか」
「……」
「もうひとついい?」
「何?」
「俺は誰の子?」
「――――お父さんの、妹さん」

じゃああの人は今まで妹を育ててたのか。
笠井は笑ってやった。

 

 

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