シ ュ プ レ ヒ コ ー ル !


 

「桐原監督、お電話が」

口うるさい桐原が呼ばれていき、説教されていた藤代がその背中に舌を出す。巻き添えを食っていた水野は額を押さえて溜息を吐いた。未来と向き合うために選んだ武蔵森だが、その選択が正しかったのか時々迷う。確かにその力は認めるが、やはり桐原とはやりにくい。そうでなくとも──

「あれ?何なんだ?」
「桐原が走った」

ざわめきに顔を上げると、練習中でもネクタイをしめているあの監督が……父親が、走っている。俺桐原が走ってんの久しぶりに見た、三上が隣でつぶやく。確かに、時間に正確な彼は普段走る機会がない。

「……あっ!?」
「……水野何か知ってんの?」
「あっ…」

がっしり三上に捕まり、逃げようと試みる前に中西が反対側に回る。こうした動きを試合の中でしてくれれば文句はないのに、こんなときばかり無駄がない。

「たっちゃん何か知ってるね?」
「……」

水野は目線だけで両壁を見る。『武蔵森経験値』の低い自分は、こんなときの逃げ方を知らない。助けになりそうな笠井を探したが、こっちに気づいてくれなかった。ふっと思い出したのは、昨日部屋に入ったときに見た光 景。

「……三上“先輩”、昨日のこと」
「!」
「えっ何何ッ!?三上何したのッ!?」
「わかったよ何も聞かねえよ!中西にだけは死んでも話すな!」
「ね〜水野くん!」
「中西“先輩”、食堂の…」
「俺を脅そうっての?」
「窓の…」
「……イーイ度胸してんじゃない?」
「俺辰巳先輩に話が」
「待って待って水野くん、俺と君の仲じゃない、話し合いで解決できるってとても素晴らしいことだよね」

水野を引き留める中西に興味を隠さずにおれない三上がウロウロしている。武蔵森へ来てからと言うもの、どう考えても──間が悪い。例えば今であったり、昨日三上がこっそり笠井の携帯を覗いていたのを見てしまったり、中西が夜中に食堂の窓から帰ってきたところに鉢合わせしてしまったり、両親の深い話をたまたま立ち聞きすることになってしまったり。ああ…、例え今隠し切れたとして、そのうち明るみになる気がする。

(さっさと出ていきたい……)

家も、寮も。あれっ監督、誰かの声に顔を上げると、彼が大急ぎで車に飛び乗ったところだった。流石の水野にも焦りが走る。監督は急用で帰られた、今日はもう解散、とコーチが告げた瞬間はお祭り騒ぎで、頭が痛くなっ た。はしゃぐ藤代に飛びつかれたのを保護者の渋沢に押し付け、コーチのところへ向かう。

「電話、母ですか」
「ああ……それが、急に産気づいたらしくて」
「……そうですか」

こういうときぐらい、家族扱いしてもらえないものだろうか。しかし怒りは湧かない。ここのところの彼の挙動は目に見えておかしかった。それだけ落ち着かなかったのだろう。

(……あの親父、避妊ぐらいキチッとしろよな…)

俺がグレたらどうするんだ。グレたから二番目が欲しくなったのかもしれない。
あとで病院を聞き、着替えてすぐに追いかける。叔母によればもう生まれているようで、病室に行ってみると母は身内と談笑していた。桐原がいないのに少しほっとしてしまう。

「あら、来なくてもよかったのに」
「そうも行かないだろ。予定日まだ先じゃないのか?」
「少しだけね。ちょっと小さいけど元気な子よ」
「高齢出産なんだから無理すんなよ」
「まあ!お父さんと同じこと言って」
「……その親父は?」
「出産に立ち会うって言ってたのにできなくてしょげてたわ。今は赤ちゃん見てる。たっちゃんのときと一緒ね 」
「え」
「ガラスにへばりついて、飽きもせず眺めてるわ」
「……あ、男?女?」
「男の子。今度は女の子がよかったんだけどなあ」
「……またサッカーやるのかな」
「やるんじゃない?お兄ちゃんがプロなんだもの」
「……」
「ね?」
「ハァ……帰る」
「そう、気をつけてね」
「母さんも。また来るよ」

その前に、と叔母に連れられて新しい家族を見に行く。正にガラスに『へばりついて』いる父親を見ると情けなくなる。あれが日頃子ども相手に真剣に怒鳴りつけている男の真実だ。

「……どこ?」
「なんだ、お前来たのか」
「……」
「二列目の正面」
「……ふうん」

なんだかよくわからない。他の赤ん坊に比べると確かに少し体は小さいようだが、ここにいるということは問題はないのだろう。小さな手足を動かして、目だけがきょろきょろしている。

「……E.T.みたい」
「お前な……」
「俺もう帰るから」
「そうか」

水野に関心はないようだ。その態度に呆れてしまう。

「……籍入れないのか?」
「名字が変わるのは嫌だろう」
「でも」
「死ぬ前までにはする」
「……じゃあな」

溜息を吐いて病院を出た。余計なときばかり水野の心配をしている。さっさと寮を出たい。憂鬱になりながらその寮へ帰れば、思っていたほど追求はなかった。目下のところ、間宮の彼女の話の方が問題になっているらしい。談話室ではこんなときばかり間宮を中心に人だかりができている。中学からつき合っていた子と一度別れたが、また復縁したらしい。どこかで聞いたような話だ。夕食まで本でも読もうと部屋へ向かう。何気なくドアを開 けて、

「……そういうことするなら鍵閉めろって何回言えばわかるんだよ……」
「あ……」
「まだなんもしてない、まだ」
「こっちの部屋でやるなって言ってるだろ!」
「今中西が膨れっ面で俺に近づくなってオーラ発してんだよ」
「俺が知るか」
「……ハイハイ、じゃー三上先輩は帰った帰った。水野が戻るまでって言ったでしょ」

迫っていた三上を押し返し、笠井は手を引いて彼をドアまで誘導する。聖母のような笑顔だ。三上は引きつった表情で訴える。

「笠井、俺のこと好き?」
「誠二と中西先輩と辰巳先輩とキャプテンと水野の次ぐらいには」
「水野増えてるし!」

無情にも笠井は三上を追い出して鍵を閉める。笠井は笠井で機嫌が悪いようだ。読みにくい男で、最近ようやくわかってきた気がする。

「水野機嫌悪いね」
「……ちょっとな」
「どうした?」
「……」
「たまにはグチ聞くよ、いっつも三上先輩が迷惑かけてるし」
「……お前そういうやつだよな」

自分は悪くないというスタンスはいっそ清々しい。善人面でこっちを見てくる笠井はあくまで爽やかだ。女子生徒が憧れるその笑顔は、大抵の場合よこしまだ。悪いやつではないが、三上のことを含めても厄介なルームメイ トではある。中学3年間を藤代と同じ部屋で過ごしたというから、ただ者であるはずがないのだが。

「……笠井、ひとりっ子だっけ」
「上に一人」
「……急に弟ができたら、どうする?」
「……できたの?」
「誰にも言うなよ」
「弟かあ〜……いいなあ、俺子ども好きだよ」
「そういう問題か?」
「……話してくれたから代わりにいいこと教えてあげよう。俺はね、子どもがほしいんだ。だけど三上先輩を好きになってしまった」
「……笠井、ずっと三上といる気なのか」
「さあ、そこまでわかんないけど」

笠井の横顔を盗み見る。誰も親切に水野に事情を教えてくれたりはしていないが、笠井が何度もつらい思いをしてきたらしいというのはなんとなくわかっている。それでもやめないのだろう。そんなに強く誰かを思ったことのない水野にはわからないのかもしれない。男同士という、無意識の嫌悪を克服するのも時間がかかった。

「……俺女の子好きになれないんだよね、可愛いとは思うけど」
「……マジ?」
「大真面目」
「え……」
「悩み事増やすなよとか思ったでしょ」
「思った」
「ここまできたら後少し、つき合ってもらわなくちゃねえ」
「嫌なやつ……」

笠井はけらけらと笑い飛ばす。そういう態度をとるから、敏感とは言えない水野気づけない。もっとも、彼と中学の3年間を過ごした藤代に言わせれば笠井にとってもその程度でいいらしい。あまり構うと怒りが自分へ向く ようだが、それは藤代だからだろうとも思う。

「弟って、今日の電話と関係あんの?」
「ああ、今日生まれたって」
「わあ、見た?」
「見たけど、見分けつかないし」
「へえー」
「……見たいって言うなよ」
「そこまでわがままじゃないよ。バレたくないんでしょ?」
(わがままの自覚はあるのか)
「バラすよ?」
「読むなよ!」

携帯が振動して取り出せば、病院にいるはずの母からのメールだ。何気なく開けば、可愛い名前考えて、なんて 内容で。隣で笠井も携帯を開いた。今の音楽は、三上だ。

(……俺は、いつまでバカップルに振り回されるんだろう)

 

 

*

 

 

その日は愛の隔壁で発見された、笠井×水野の南京錠の話があちこちでされていたような日だった。件の南京錠を外せないものかと笠井とフェンス前に行ったとき、ちょうど向こう側に女の子がいたので笠井がさっさと逃げてしまった。水野を彼女たちの前に突き飛ばして。
武蔵森はジャングルだ、サバンナだ。入部した折に渋沢がつぶやいた言葉の意味を、最近嫌と言うほど理解する。雌ライオンの前に投げ出されてしまった餌は、逃げる術を知らない。

「あっ水野くん!」

見たことのある子だった。逃げる前に発見されてロックオン、おまけに手招きされてしまい、ここで逃げることができるほど器用じゃない。

「あの、私いつも練習見てて」

思い当たるところはある。何度か目が合ったこともあるし、何より彼女はサッカー部の部員でありはずだ。向こうはあまり部員がいないようで、試合の手伝いに行ったことがある。一緒に行った辰巳にアドバイスをもらって いたからフォワードのはずだ。

「好きです」

人を好きになることを怖がっている自覚はある。だから時々こうして思いを告げられると、どうしていいかわからない。足がすくむ。

「……ごめん」
「ううん、伝えたかっただけ。今年卒業だし」
「……なんで、そんなに簡単に、好きになれるんですか」
「──簡単じゃないよ。嫌いになるのは一瞬だけど。噂通りだな、水野くん」
「噂?」
「扱いはうまいくせにふるのは下手くそ。損するよ」
「……もうしてます」
「バカだね」
「え、」
「女の子は君に気を使われるほど弱くないよ」

スカートをひるがえして彼女は立ち去る。その後ろ姿を見ながら、早く走れそうな足だと思った。運動してる子は一発でわかると言ったのは誰だったか、確かに筋肉の違いがわかる。

「色男だなあ」
「……お前な……」
「席を外すのが礼儀でしょ」

戻ってきた笠井はフェンスに寄って南京錠を手に取る。それでも聞いてたら同じじゃないのか、と言うと笑っただけだった。

「誰ともつき合う気ないんだ?」
「……中学で、ふられてるからな」
「……そうなんだ。まだ好き?」
「さあ」

見つけた。笠井が手にした鈍く光る南京錠には、はっきりと笠井×水野の文字が書かれている。フェンスの向こう側に誰もいないのを確認して、笠井が取り出したのはクリップだ。伸ばしてあって原型を留めていない。水野の疑いの視線を受けながら笠井は外しにかかる。

「……藤代多いけどいいのか?」
「藤代×笠井でしょ?キリないからいいんだ。手遅れ」
「俺のは外すんだな…」
「残しといてほしい?増殖日記がつけれるよ」
「いや、外して下さい」

乙女の夢と言うのも厄介だ。溜息を吐く水野の隣で、これ無理かも、と笠井のつぶやきが漏れる。代々受け継がれてきた伝統の技術は完璧ではないらしい。

「中西先輩に連絡しとこう」
「何者だあいつ」
「今更じゃん」
「……恋は盲目、か」

実った南京錠を重そうにぶらさげ、体がたわんでいるフェンスを見上げる。今でこそ乙女の夢だとか、自分の好きな人の名前を書いておまじないのように使っているが、本来は愛の隔壁に阻まれる恋人たちが南京錠をつけるものらしい。水野は最近初めてそれを知った。こうして廃れて行くものなのかもしれない。

「盲目になれたらいいよね」
「笠井?」
「俺は先輩後回しだなあ」
「……3年が卒業したら、どうするんだ?」
「俺は別れた方がいいと思ってる。……俺と先輩つないでるのって、サッカーしかないし」
「笠井……」
「中西先輩と離れたくないけど」
「誰が中西先輩の話をした」
「あっ中西×水野発見!」
「げえっ!?」

 

 

*

 

 

恋、がまだよくわからない。桜上水でサッカーをやっていた頃、自分の気持ちの中にかすかに芽生えていた小さな思いは果たして恋であったのか、一度結論を出したはずなのにまだよくわからなかった。留学決定、の文字の踊る携帯電話のディスプレイから目をそらし、天気のいい窓の外を眺めた。これから一生、サッカーは続けていくだろう。だけど例えば、笠井のように恋愛をしながらサッカーはできるのだろうか。切っても切れなくなるほどに、サッカーと恋愛が結びつくなんて想像ができない。

「ただいまー」

でかけていた笠井が帰ってきた。ジャケットを脱ぐこともせず荷物を投げるなりそのままベッドに倒れこみ、はぁ、と声を出して溜息をつく。どうしたんだよ、と聞いてやる気にもなれない。どうせそのうち語りだすだろう。

「桐原につかまっちゃったー。E.T.の写真見せられた」
「なっ!」
「かわいいじゃん?」
「……そうかぁ?」
「かわいいよー。やっぱり監督も人間なんだなー、厳しい顔しててもデレッデレなの、わっかりやす」
「かわいいって親父の方か?お前趣味悪いな」
「趣味の悪さは否定しないけどー、そういう言い方するなら俺はこれからお前に嫌がらせするためだけに桐原至上主義になるよ?」
「すまん」
「ははっ。……いいなー」

どの要素をいいと思えるのかさっぱりわからないが、今度は水野が溜息をついてしまう。高校にもなれば悩みも減るだろうと思ったのに、考え込む時間は増えるばかりだ。不器用なのね、母親の言葉がよみがえる。

「……なあ、笠井」
「何?」
「誰かを好きで、サッカーを続けていくのは、どんな気分だ?」
「……それは、難しいな。今は違うけど、サッカー始めた頃は俺にとってはサッカーは逃げ道だったの。家を出るための言い訳で。でも三上先輩を好きになってからサッカーがすごく楽しくなってきたから、俺はやっぱり三上先輩がいないとサッカーはしないと思う」
「……そうか」
「そばにいるだけが恋愛じゃないとわかってるけどさ、でも俺は多分、無理だなぁ。あったかさを知っちゃうと」

よいしょ、と掛け声をかけて笠井は起き上がり、溜息交じりに笑う。乱れた髪を直して、ジャケットを脱いで首をかしげた。

「我ながら、女々しいとは思うんだけどねえ。でも、俺はそういう人種だったの。でも水野はきっと違うね、水野は監督に似てるから、多分サッカーを選ぶんだよ」
「……そうかな」
「きっとね。他の人にも聞いてごらん、声をそろえて同じように言うから」

水野に向かって柔らかく微笑む笠井が大人びて見えて、自分が少し焦っていた理由がわかった気がした。恋ができないのはいつまでも子どものままであるような気がして、知らずに自分を焦らせていたのだろう。わかったからといってすぐに切り替えられるわけではないが、立ち位置がわかっただけで十分だ。

「……じゃあ、俺も出てくる」
「どこ行くの?」
「病院」
「ああ、行ってらっしゃい」
「三上連れ込むなよ」
「しませんよー。俺が行くからね」

笠井は色々な表情で笑う。自分が乏しいだけなのかもしれない。
一緒に部屋を出て廊下で別れた。できれば笠井が幸せになるようにと願うのは、愚かなのだろうか。

「あ、水野じゃーん、どこ行くの?デート?俺はデート」
「……藤代」
「何?」
「俺は笠井に同情する……」
「え?何で?」

笠井が強いのは三上がいるからだけじゃな。きっと3年間、こいつの手綱を握っていたからだ。最後にわかりたくなかった結論が出た。溜息をつき、成り行きで藤代と一緒に寮を出る。――高校生活はまだ残っている。きっとその間に、少しは自分も変わるだろう。藤代と付き合っていれば鍛えられそうだが、自分にできることだろうか。溜息をついてしまい、よけいに藤代のちょっかいを受けている間はまだまだだろう。

「あ、そーだ。愛の隔壁に藤代×水野の発見報告があったよ」
「……なんで」
「さあ?」

恋で盲目になったやつの気持ちはわからない。きっと自分は一生両親を理解しきれないのだろう。まだ名前の決まらない弟を思い出し、名前を考えながら病院へ向かった。

 

 


 

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