「────笠井?うん、しばらく家いねぇから」
『旅行ですかー?』
「いや、ちょっと実家」
『はーい』


電 光 石 火


耳に馴染んだ声、電話を切るのに勇気がいった。嘘を言ったせいかも知れない。嘘に気づいてほしかった、なんてずるい思い。悩んでいる間に笠井が切って、俺がこんなに悩んでるのにいい気なもんだと勝手に恨んだ。
なぁ、今でも時々考える。ずっとお前が他の誰かのものになるなんて考えたくもなかったけど、サッカーを選んだら俺はお前を疎むんじゃないかって、勝手なこと。
また嘔吐感に襲われて、それに忠実に便器に構えたけどもう胃液しか出なかった。これがお前への愛の強さだ、なんて笑えない。口の端が焼けた。昼何食ったっけ。貴重なバイト代をトイレに流した後悔で財布も痛む。

「…三上くん、大丈夫?」
「あ〜…すんません…」

トイレのドアをノックされてやっと我に返った。畜生あの野郎、女呼ぶのは卑怯じゃねぇか。テメェでクソガキの世話すんのが面倒か。
空っぽの胃を抱えてトイレから這いだしたら心配に眉を寄せた美人が立っていて、こんなときでも笠井と比べてやっぱり笠井がいいと思ったりしているのに、どうして笠井だけで満足出来ないんだろう。ていうか俺ほんとにまいってんだな、気持ち悪ィ。

「お前はサッカーから逃げられない」

一応と熱を計ったら立派に熱があって、ご丁寧に客用布団を出してもらってダウンする枕元、鬼が静かにそう言った。やっぱり俺は、サッカーから逃げてたのか。

 

 

笠井との関係を告げたのは卒業してからずっと後のことだった。笠井が留学中に藤代と中西が共謀して同窓会?じゃねぇけど、あの頃のメンバー集めて大騒ぎをした。そのときに彼も呼んだらそのときは何故か顔を出し、既にべろべろに酔っていた俺が絡んで暴露した。素で驚いた顔をするからやっぱり大人の観察力なんてたかが知れている、恋愛のことになると特に、なんて妙に冷静に思った。でも辰巳と中西のことは察していたらしいからあいつらは相当だってことになる。
頭のかたいおっさんだからなんて言われるか、言ってしまってから構えたけど大したことは言われなかった。もう覚えていない。笠井が留学していた間は何をして日々を過ごしていたのか全然覚えていない。

「…桐原監督」
「…まだ監督と呼ぶんだな」

目覚めるとおっさんはまだそこにいた。ずっと老けていたから、卒業してから何年経っても変わらないように見える。だから落ち着くのかも知れない。

「…監督がプロになったときは、どうでしたか」
「嬉しかった」

あぁ、やっぱり、このおっさん、子どもみたいだ。卒業してから気づいた。卒業したら、もっとこの人の下で走りたいと思った。大人と子どもの関係なんてそんなものなのかもしれない。

「認められたと思った。あのとき全てをサッカーに任せた」
「それで息子いじめて離婚された」
「……」
「いいなぁ」
「三上」
「俺がサッカーばっかりになったら、笠井から捨ててくれたらいいのに」
「…馬鹿な。笠井はしつこいぞ」
「…そおっスね」

プロのチームに呼ばれた。大学でサッカーは最後だと思っていたから必死で走り回っていたら、誰ぞの目に留まったらしい。

揺らいでしまった。

笠井と共に過ごす先がぶれた。
適当に嫁もらって落ち着いた方があいつにとってもいいんじゃないかって、思ってしまった頃に笠井が海外から戻ってきた。迷いもせずに俺のところへ。人の心臓をダイレクトに鷲掴みにする、卑怯な笑顔でただいまなんて。

「監督、俺、笠井とはどんだけ話したかわからないからほとんど覚えてないんだけど」
「話?」
「でもひとつ、あいつが俺に言った言葉でどうしても忘れられない言葉があって、」

今でも、笠井は覚えてるんだろうか?それともあのとき勢いに任せて口にしただけで、本気じゃないんだろうか。
覚えてる俺がおかしいのかも知れない。…そんな予定があったかのように、覚えてる。

「────いらなくなったら捨てて、って」
「三上」
「いらないって、言えるわけねぇよ…」

どっちも欲しい。縦横無尽に走り回れるグランドも、自分だけの温もりも。

「監督」
「…プロになったら、今のようにはいかないだろうな」
「監督、俺笠井の夢をひとつ諦めさせてんですよ」
「……」
「あいつは父親になりたかった。休日に子どもと遊んでやる父親になりたかったって、言ったことがある」

それでも俺はサッカーを選んでいいのか?

「…しばらくうちにいなさい。笠井に会わない方がいい」
「…監督、真理子さん引き留めたいなら俺使うなよ」
「馬鹿言うな」
「あ〜〜…カッコワリィ…」

笠井。俺サッカーしたいよ。趣味でじゃない。プロの世界でサッカーがしたい。

 

 

例えば渋沢とか藤代とか、一緒にやってきた奴らの凄さはわかる。どうって言われたら、世界が違うとしか言いようがない。普段の渋沢の几帳面さは試合中には顔も出さず、大雑把にボールを飛ばしたりするくせに、計算した位置に落としたような場所へボールが落ちたりだとか、あれは本能だとか才能だとか、そう言うものだ。
藤代と書いてバカと読むみたいな藤代だって試合中の嗅覚は恐ろしくて、何点入れると決めたら大概はきっちり無理やりにでも決めてくるから正直恐ろしい。調子に乗ったら乗りっぱなしでしっぺ返しを食らうこともなく、サッカーの女神様をたらし込んだに違いないと何度となく思った。

例えば水野はやたらぐらつく精神の癖に美味しいとこは外さずに、なんて憎らしいにもほどがある。
一時は恨んだわけだけどあれはよく考えれば桐原が悪いわけで、なんて気づいたときに俺は多分勝てないんだろうなとわかってしまった。美しいと思わせてしまうプレイヤー。言わねえけど、かなりファンだ。また水野と試合をするなんてことがあったら俺は眠れないかもしれない。

例えば風祭だとか。今はどうしてるか知らない、藤代いわくドイツで山に籠もって修行中の風祭は終わったはずのサッカー人生を無理に引き延ばそうとして足掻いている、らしい。ありゃあ正真正銘のサッカーバカってやつだろう。あいつのプレイなんてそんなに見たことはないけれど、初めて試合をしたあの日、がむしゃらってのを見せられたあのとき背筋が寒くなったのを覚えている。
恥ずかしくなるぐらいの真摯さ、────あれぐらい情熱を持ち合わせていたら、こんなことで吐くまで悩んだりしないのだろう。あいつ女なんかいるんだろうか。サッカーと恋愛してるんじゃないか?熱く情熱的に愛を叫んで体でぶつかって、恋愛じゃねぇか。

例えば笠井。笠井。プレイは好きだった。普段冷静な笠井の熱さを垣間見る。一度言ってみたら本気で引かれたけど、俺はベッドの中なんかより真っ直ぐ敵を威圧する目をした、サッカーしてるお前の方がよっぽど俺を煽った。抱かれてもいいとか、思った。抱くけど。
…抱き締めたい。無条件に思われたい。なぁ笠井、夢を奪った俺が憎い?俺は時々憎い、こんな熱い生き物に出会わなければ、

 

 

「…笠井の留学中、」

それにしてもこの夫婦は物好きだ。二日目、暇らしい桐原監督の手製の蕎麦を食べながら思う。今日は吐きませんように。出したら申し訳なくてもう顔を出せない。
正確には元夫婦なのか。たっちゃんに手がかからなくなってから私ほったらかしなんだもの、偶にはこうして甘えられるのもいいわ。優しい真理子さんがそう言ってくれるので遠慮なく病人のふりをして甘えていたら、桐原がどことなく落ち着かなくなるから面白い。先に気づいたのは真理子さんだけど。美人は怖い。
桐原も桐原で、水野は中学のときよりはましにしろやっぱり疎遠らしく、口にはしないが俺の面倒を見るのを楽しんでいる節がある。サッカーで悩んでる俺の元にサッカーのビデオを持ってきたりするから殴ってやろうかと思ったが、桐原はどっちかと言うとやっぱり俺にサッカーをしてほしいようだったからやめた。

「笠井の留学中、何度か浮気っつーか、それなりに処理してたんスけど」
「……」

食事中にする話ではなかった。とは言え話し始めてしまったし、真理子さんは一度家に戻っていていないから構わず続ける。

「女抱いてるよりも、サッカーしてるときの方が笠井を思い出して」

でも俺は意識的に笠井と似た女を探していた。面影を追っても必ず笠井は見えなくなってしまって、どうしようもなくなってたたなかったこともある。

「ヤバいなって、そのとき思った」
「サッカーも笠井も、同じか」
「同じかもしれない。笠井が好きだと思うほど、サッカーしたくて堪らなくなる」
「…そうか」
「でも、プロになったら笠井に迷惑かけるのは目に見えてるし」

留学前には笠井の親を巻き込んで大騒ぎもした。あれだけ騒いでおいて、サッカーするんで別れましたとはいかない。刺される、絶対。

「どうしよう」
「…そんなに思い悩むのは、お前ぐらいだろうな」
「俺サッカーに泣かされてばっかりだ」
「……」
「まぁ、俺は笠井を泣かせてばっかなんだけど。恋愛みたい。…やっぱり笠井と同じかもしれない」

どっちが好き?そんなレベル。
桐原に浮気したことありますか、と何気なく聞いてみたら、ないとあっさり否定された。この人はほんとにサッカー好きすぎて三行半突きつけられたのかと思うと、やっぱりサッカーの被害者なのかと思った。罪作りだなお前は。蕎麦はうまかった。

 

 

「お前は昔からこうだな」

今日もテレビは暗いニュースの合間に藤代を映す。勿論あいつだけじゃないけど。あいつが何点決めたって、へぇってなもんだ。だってあれは点を取るための生き物だから。

「少し考え事をするとすぐに体調を崩すだろう」
「…一端を担った人のセリフっスか」
「……あれは」
「でも、我が子は可愛いでしょうね」
「…あのときは、ほとんど選手として見ていた。水野竜也を」
「……」
「少なくともお前よりはいい選手だろう」
「言ってくれますね。そうやって弄ぶから嫌われるんスよ」

不器用だ。それは俺も同じだけど。

「…悩んでても、同じだろう。答えが出てる」
「…まいるよなぁ」

認めるしかないのだ。どっちからも離れられないこと。

 

 

*

 

 

「────やめた?」
「はは…まだ聞いてなかったんスね」

すんません、と思わず謝る。ここで散々管を巻いて迷惑をかけまくったのはまだ1年前の話だ。桐原は呆れた顔をして、今日は一緒についてきた笠井も同じような顔をしたことを思い出した。
俺が来ると聞いて桐原邸に来ていた真理子さんがお茶を淹れて持ってくる。何だかんだで桐原は真理子さんをつなぎ止めていて、案外俺よりずっと器用なのかもしれない。

「ほんとに、呆れますよ。決めるのはあんなに時間かけたくせに、やめるときは一瞬」
「うっせーな…」
「どうしたんだ。怪我とか…」
「あ、違います。…試合すっぽかして、クビ」
「……」

桐原が目を剥いた。だから報告に来るの嫌だったんだ。

「や、あの…試合直前に、母が倒れたって連絡入って…抜けるって言って出たんですけど、まぁこんな性格なもんで」
「…伝えてもらえなかったと」
「はい…」

しばらく様子を見ていると桐原はなんと笑い出した。真理子さんまで驚く中で、桐原は口元を押さえて笑いを堪える。

「いや…失礼。大丈夫だったのか」
「あ、はい。ただの貧血だったんですけど恐ろしいことに階段から落ちて。慌てて行ったらケロッとしてんですよ、初めて母親殴ろうかと思った」

どの辺りがお気に召したのか、桐原はまだ笑いを堪えている。あーそうだよ、こいつ確か笑いのツボが渋沢と一緒なんだ。よくわかんねぇ。

「…お前ほんとに変わらないな」
「はぁ」
「母親が来ると試合張り切ってただろう」
「!」
「…ほらだから、読みやすいって言ったじゃん」

笠井が呟く。みんなが言ってくるので薄ぼんやりと自覚はあったが、桐原にまで言われるようじゃ重症だ。

「俺とサッカー天秤に掛けて死ぬほど迷った癖に、母親とサッカーで迷わず母親ですよ。殴ろうかと思った」
「殴った上に蹴ったじゃねぇか」
「どう思います?」
「…三上らしいな」
「……」
「これからどうするんだ?」
「目下のところプータロー。仕事ないっスか」
「ないな」
「…何で世間の大人はフリーターに冷たいの?」
「プータローだから」
「3留してる奴に言われたくねぇ〜」
「2年間は休学です〜」
「お前たち要領悪いな」

「「監督に言われたくない」」

今度は真理子さんが笑い出した。

 


桐真理が書きたかっただけで生まれた産物。わたし三上を何だと思ってるんでしょうね。

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