まだ薄暗い朝、カメラは街道を抜けてアパートに入っていく。
呼び出したある部屋のドアがゆっくり開いた。顔を出したのはまだ眠そうな表情の男、少年とはとても言えないが青年ともしたがい若い男だ。年は二十歳。

「おはようございます」
「あー…おはようございます…ちょっと待っててくれますか」
「どうかされました?」
「…寝坊しました」

彼の照れた表情に何人かの笑い声がして、彼は苦笑して部屋のドアを閉めた。カメラはそのドアを映している。
明るい女性の声でナレーションが入った、下方に小さく女優の名前が表示される。

『単身で留学、音楽界で名を馳せる巨匠の元で活動中の彼は先月から始まったツアーに参加しています。世界で頑張るあなた達を、大島食品は応援します────』


一 生 ほ ど の 束 の 間 に   1


「今日はどちらに?」
「オフなんで買い物に。普段行けないんでオフにまとめ買いです」
「自炊されてるんですか」
「一応しますねー、仲間内からへたくそだと大人気です」

『冗談を言ってみせる彼は笠井竹巳さん、知る人ぞ知る音楽家、笠井志郎さんの息子さんです』

外国の街を慣れた様子で彼は歩き、スーパーへと入っていく。
かごに食品などを入れながら回っていると、ひとり金髪の男が寄ってきてかごに何か入れた。彼の口から出たのは外国語で、画面の下に字幕が出る。

"オイ…"
"タクミも今日は休みか?"
"うん"
"そうか、で、何作るんだ?"
"まだ決めてないけど"
"寿司にしよう!"
"…うち来る気?"
"寿司!"
"え─〜…"

『どうやらお友達が遊びにくるようです。我々もご一緒させていただきました』

場面は変わって狭い台所、照明の加減なのか映像は若干暗い。
彼は腕まくりをして、皿に広げたご飯を団扇で仰いでいる。

「お寿司握れるんですか?」
「まさかァ、巻き寿司ですよ」
「なるほど、具材は?」
「エビフライ。冷凍ですけど」
「エビフライ?」
「友達が、あ、日本の友達が一時期マイブームだったやつ。俺卵とか上手く焼けないし」
「寿司は好きですか」
「好きですね〜、魚好きです。光モノとか。あ、でもウニとかは無理」
「ウニ駄目?」
「駄目っスね、気持ち悪い。凄い好きな知り合いいるけど」

彼が寿司を巻き始めた。友人がそれを見守り、完成品はご飯がはみ出していて笑う。
隠しとこう、とカメラに見えない向きに皿を回し、友人がそれをわざと戻してからかった。

────画面は移る。部屋のピアノの前に座り、片手で鍵盤に触れながら彼は自分で巻いた巻き寿司を口にする。しかしその表情は真面目だ。
しばらく手を動かして巻き寿司を食べてしまい、服で手を拭って両手で弾き始めるのは、ねこ踏んじゃった。レポーターが笑う。
カメラは部屋を回り、巻き寿司に挑戦している友人を映す。更に移動し、日本から送られたものらしい段ボールなどが映った。最後に画面に残るのはサッカーボールと何枚かの写真。

「これは?」
「あ、中学のときのです。サッカー部だったんですよ俺」
「────これって渋沢選手?あ、藤代」
「そうです」

ずっとカメラが写真に寄って、少年時代の彼とチームメイトを映した。世界で活躍しているプロの選手を追う。

「中高とサッカーばっかりでしたよ。ピアノ弾いたの文化祭ぐらいかなぁ」

ねこ踏んじゃったを中断し、彼が弾き始めるのは聞いたことのない曲だ。レポーターが聞くと高校の校歌、と無邪気に笑う。

「演奏者殺し…あっ、ダーッ、やっぱ駄目だこれ、久しぶりに弾くと」

間違えたらしく途中で曲を変え、鍵盤を叩いて生まれるのは古いアニメソング。

「…タッチ?」
「誠二が一時期ハマってて弾かされたんです。耳で聞いただけだから合ってるか知らないんですけど。あとラムちゃんの奴とか〜」
「古いね〜。藤代選手とは仲良かったんだ」
「その写真のときはチーム全体雰囲気よかったですよ。誠二とは寮の部屋が一緒です。あいつがまた散らかし魔で」

彼は笑いながら鼻歌でピアノを追う。
集合写真以外は文化祭のもののようだ。女物の浴衣姿の藤代にレポーターが思わず吹き出す。

"タクミ!何だその酷い音!"
"…うわっ、何その酷い巻き寿司!"
"これはいいんだ!どけ、直す"
"お前変な調律するからやだよ〜。「あ、彼は調律の修行中です。音感はあるけどセンスが悪い」

彼を無視して友人はピアノをいじりだした。笑いながらキッチンへ戻り、友人作の頼りない巻き寿司を切ってみる。ぼろぼろとご飯がこぼれ、なんとも悲惨だ。
カメラは友人に戻り、レポーターが質問する。

"彼はどういう人ですか"
"変な奴"
"変ですか?"
"変だね、あんなに平凡な子どもがピアノを弾かせると色っぽくなる"
"子どもじゃないよ!二十歳だって"
"見た目がガキじゃないか"
"日本人だからだよ、ですよね?"
"うーん、どうだろう"
"えっ!ちょっとショックなんだけど!サッカーやってたときは割ともてたのに…"
"勘違いじゃないか?"
"違うよ!"
"笠井くん今は?"
"…金髪美女を彼女にする予定が引っかかったのは彼ひとりです"
"タクミは日本に彼女いるじゃないか、アキラ"
"ッ────だ、だからその人は違うって!"
"アキラさんって?"
"先輩です!"
"日本の話するとセージかアキラじゃないか"
"偶然!"

『真っ赤になって否定する笠井さん。これでは子ども扱いされても仕方ない、かな?それでもピアノの腕前は確かです────』

 

舞台は何処かのホールに移る。
中央のピアノで彼が鍵盤に触れ、音が生まれる。真剣な表情をカメラが映し、曲のテンポが早くなってくるとにやりと一瞬笑った。その笑いを殺すように唇を噛み、更に弾き続ける。
その曲をそのままBGMに、彼が観客席のひとつに座ってインタビューを受けている様子が映った。

「ピアノはいつから?」
「立てたぐらいからと親は言ってますけど、そんなの弾けてたかって言うと怪しいですよね。幼稚園ぐらいから記憶はあります。中学高校とやってなかったけど」
「サッカーですか」
「そうですね、プロを夢見てた頃も正直ありますけど、やっぱりこっちに戻ってきちゃったなって感じで」
「きっかけは?」
「あー…中学のとき、文化祭でピアノ弾くことになってたんですけど指骨折して、結局出来なくてその悔しさで気付いたのかな。ほんとは中学まででサッカー止めようとも思ってたんですけど、サッカー楽しかったし先輩達も高校で待ってるって言ってくれてたから。…まぁ大部分は親への反抗でしたけど」
「反抗?」
「なんて言うのかな…素直になるの恥ずかしかったんですよ、ピアノやれって言われてたから、やりたいって言うの嫌で。でもサッカーやってた6年間はほんとによかったと思います。後悔はないし、俺を大きく成長させてくれた。視野が広がったって言うんですか?」
「そうですか。留学を決心した理由は?」
「あ、それも反抗でした」

彼が笑い、画面にはピアノを弾く彼が映る。指先から徐々に全体へ。照明のせいなのか汗が頬を伝っていた。
画面は何度か切り替わった。街を歩く姿、指導者との練習風景や友人と笑い合う様子。

「いつまで経っても子ども扱いされてて、俺のこと信用してもらえてなかったのかな…だから賭けたんですね、俺がひとりでやっていけたら認めてもらえるよう。反抗期が長いって友達にからかわれましたけど。でも負けるみたいで嫌だったんです」
「誰に?」

画面は戻った。
彼は一拍おいて、椅子に深く座り直す。

「────父と、自分に。でも流石に後悔しましたけど。まず言葉が分からなかったし」
「今は普通に話されてますよね」
「こっちの先生が日本語出来るので、ピアノと言葉を教えて貰ってます。あの人素知らぬふりでスラング教えてくるから何度か恥かきました」
「あはは!」

画面には近くで聞いている指導者の姿が映り、彼は陽気に手を振った。そっちを見た彼は顔をしかめる。

「笑い事じゃないですよ〜〜…こないだなんか公式の場で…まぁ、父さんの息子ってことで、悪いのは師匠だしって許してもらえたんですけど」
「お父さんのことはどうですか」
「…正直な話嫌いでした。あの通りかたい人だし、俺は俺で頑固だから。あの人にお願いしたのなんて今までで2回だけじゃないかなぁ…」
「2回だけ?」
「サッカーしたくて武蔵森入るときと、……」
「と?」
「……諸事情で、付き合ってた人とこっち来る前に会わせてもらえなかったとき…」
「そんなことがあったんですか?」
「というか認めてもらえなかったんですよね、俺は会わせたくなかったのに会うって言うから────って何ですかこの話!なしなし!」
「聞いちゃった〜」
「撮っちゃった〜」
「うわー!」

照れた彼にカメラが迫って、彼の手がレンズを覆って暗転、画面は舞台へ戻った。曲のラストスパート、音が駆け上がっていく。
────曲が終わり、彼は余韻を待って鍵盤から指を離した。どっと息を吐いて体の緊張を解き、笑いながら上着を脱いで汗を拭う。

「最後間違えた」

笑いながらレポーターが近寄り、最後に一言日本へどうぞとカメラを向ける。彼はしばらく思案し、その国の言葉でカメラを差して何か言った。

「…あ、これテロップ出さないで下さいね、特定人物に向けてるので」
「…と言うか出せませんね今の」
「え、放送禁止でしたか」
「若干」
「あれ?どれが?ちょ────…師匠!」

客席で聞いていた彼の指導者は拍手を送って笑う。

「あ〜…誠二の先越しちゃったよ放送禁止…」
「藤代選手?」
「あいつはいつかインタビューの最中にピーッて入れて貰おうと企んでますから」
「あはは、じゃあうちのに気をつけるよう言っておく」
「あーもーハズカシー…も、もっかいいいです?」
「だめだめ、さっきの採用」
「嘘ォ!?」

────青く澄み渡った空が映り、カメラは下がっていく。
小学生の少年達に混ざり、彼がボールを蹴っていた。芝生が眩しい。

『──楽団のツアーは日本へもやってきます。彼の活躍に期待しましょう。今日は笠井竹巳さんでした』

 

 

2>


変なのになった。後半はただの補足です(の割に長い)

050706

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送