目 指 す 夢

「……」

ガチャン!三上の手からグラスが落ちて、床で弾けた。割れたガラスに、傍の部員が危ねぇなと距離をおく。
コーチ起きてるか〜?冷やかしにも反応しない。三上は真っ直ぐテレビを見ていた。

────代表選手が決まり、初めての試合。選手発表のときに名前を挙げられることのなかったひとりの選手。
メディアにも規制が出され、一切の情報は流されることはなかった。だから、だから。心の底で俺らはみんな期待していた。お前が出てくることを。

「…コーチ?」

グラスの破片をスリッパで踏み、三上はテレビの前へ行く。折角だからと三上は寮へ来て部員達と試合を見るつもりだった。笠井は実家で親と見ているはずだ。…体が震える。指先がじんと痺れた。

「風祭…」
「コーチ!見えねぇよ!」
「何?あ、こいつ?謎の選手」
「コーチ知ってんの?」
「────おい、誰かビデオ撮ってるか」
「俺撮ってるけど」
「ビデオある限り全部で撮れ」

三上の声は真剣だった。人口密度の高い談話室が一気に静まる。
ブラウン管の向こうで、照れながらもこれから起こることを心待ちにするその表情。三上は見たことはなかった。だけどずっと知っていた。────どれだけ問い詰めても、藤代も渋沢も『謎の選手』が誰か吐かなかった。
だからそれは、そう言うことだ。彼らもこんな表情をしながら誤魔化した。楽しみで仕方ないのだ。何が起こるかわからないこの先が。

「…コーチ、こいつ、凄いの?」
「…弱い。俺が知ってる限りでは。見てればわかる」
「……」
「…こいつは、うちの中等部にいた」
「え、サッカー部?」
「そうだ。強くないのにサッカーするためだけに一般で入ってきて、チビってだけで三軍から動けなかった」
「…」

部屋は完全な静寂だった。テレビからは選手を激励する観客の叫びや、アナウンサーの興奮した声が確かに聞こえているのに、三上の声は真っ直ぐ部屋に広がる。

「…馬鹿みたいに牛乳飲んでたことしか覚えてねぇ。あぁ…あと、リフティングと走り込みとボール磨きなんかは完璧だったんじゃねぇの?一年以上それしかさせてもらえねぇんだから」
「…そうなの?」
「…今みたいになってんのは俺が必死で変えたからだ」

三軍もまともな練習が出来てるのは。押し付けるつもりはない。だけどわかって欲しい。

「何人も三軍はやめてく。サッカー部なのにサッカー出来ねぇんだもんな。遂にこいつもやめた」
「…でも、今」
「やめて、転校した」

信じられない。今でも信じられない。この男があのまま武蔵森にいたら、今頃サラリーマンでもしていたかもしれない。自分で切り開く勇気。サッカーに賭ける情熱。

「サッカーするために入った学校でサッカー出来なかったから、サッカーするために転校した。…出来るか」
「え…」
「…北野」
「…だって、転校だろ?」
「あぁ。俺も出来ねぇ」

風祭は今はベンチだった。他のメンバーにからかわれながら、試合が始まるのを静かに待っている。すぐに画面から消えた。一瞬映った松下の姿。────使わないはずがない。確信だ。

「…転校先の弱小サッカー部でも弱かった。サッカーの仕方知らねぇんだもんな。そこに水野がいた」
「水野?」

タイムリーに水野が映る。郭と何か言葉を交わした。

「水野は水野で事情あったんだけどな」
「…」
「水野がいたのも大きかったけど…風祭は、その一年で、選抜まで行った」
「!」
「わかるか?こないだ高橋達が呼ばれた奴だ。そこで補欠に残った。────わかるか?武蔵森の三軍が、東京代表だ」
「……」
「因みに俺は落ちた。水野に負けた。…その水野の役さえ、こなせる男だ」
「…FWじゃん…」
「…俺が試合やったときは、弱かった。だけど選抜までに、選抜中に更にあいつは伸びた」

試合は始まっている。敵はがっしりとした鍛えられた体型の選手が多い。アジア人がずっと幼く見える。

「…ありゃ化け物だ。よく見とけ、…どう成長してきたか、俺もわかんねぇけど」






試合が終わった。勝利を喜ぶより早く、彼らの心は捕らわれている。周りの選手から次から次へと叩かれ、突き飛ばされてはへらへらとぼろぼろの笑顔を向ける彼に。

「…あれが、お前らの敵だ」

敵だ。夢だ。 お前らの待っていたものだ。

「…いいなぁ」

三上の呟きに誰かが顔を上げたが、反応しなかった。今は完全に過去に戻っていた。

「俺も行きてぇ」

同じフィールドで土を蹴って、ボールにかじりついてくる男を見たい。

「…コーチ、何でプロやめたの?」
「…」
「チーム入ってたんだろ」
「…俺は欲張りだから」

手に入れにくい物を優先したら、サッカーが後回しになってしまった。

 

 

 

photo by ukihana

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