走
れ !
ぼんやりビデオを眺めた。グランドを縦横無尽に走り回る風祭。 一度グランドを離れても、戻ることは可能か?繰り返し自問する自分に嫌になる。答えは出せるはずがない。 「ただいま〜」
笠井が帰ってきた。鍵を閉めて靴を脱ぎ捨てる音がする。 「風呂沸いてる?あ、俺入っていい?」 風呂を覗いたのだろう。笠井は中まで入ってこずに、そのまま荷物を置いたようだ。三上は静かに立ち上がって風呂場へ向かう。入ってきたのを見て笠井は少し眉を寄せた。 「やだよ、一人で入るからね…何?」 黙って背中を引き寄せ、汗の匂いのする首筋に噛みつく。ぎゃっと色気のない声を上げて笠井が抵抗を見せると、かっときて乱暴に服を脱がした。笠井が息を飲んだのが聞こえる。それでも風呂場のドアへ押しつけて、やはり荒っぽく下着ごとジーンズに手をかけた。 「やだッ、何…なんで!?」 その時の笠井の目を一生忘れないだろう。してはいけないことをしてしまった。それでも今更衝動は治まらず、脱がしかけたシャツで抵抗を奪う。既に自分のものは猛っていた。痛い、小さな声で笠井は呟く。諦めた声に思えた。 見開いた目。自分を咎めるでもなく、ただ驚いた。
静かに泣く声が静かに響いて、三上は何も言えずに笠井の背中を見ていた。何処でぶつけたのかわからないが、今出来たものであることは確かなあざがたくさん出来ている。首や肩には幾つか歯形さえ残っていた。 「…ごめん」 笠井の肩が震えた。嗚咽が止む。言い訳はしない。だけど理由もない。 「…笠井」 血の味がする。噛んだときに切れたのか。 「…風祭が」 笠井も見ていたのだろう。グランドへ戻ったあの小さな風が走り回る姿を。行く先々で嵐を起こす、魔法の体。 「風祭見てたら、思い出したんです」
あの夏。忘れられない最後の夏を。三上は息を殺す。笠井は泣き止んではいたが、すぐに涙が浮かんだ。倒れたままの三上の胸に額を当てて、涙をこぼす。熱い涙に一層後悔が増した。 「ドアに何回か頭ぶつけたし」 ためらいながら手を伸ばし、冷たくなった肩を抱いた。
「…水野?」 グランド付近に不審者がいる、と女性教諭に言われてきてみたのだが、フェンスのそばにいるのは水野だった。
「何?汗臭い少年の体操服でも盗みに来たわけ?」 嫌そうにしながら、時間はまだだけど早く着いてしまったのだと説明する。父親の手間断れなかったのだろう。最近ではそれなりに「親子」していると聞く。 「いいのか?」 笑ってボールを蹴る。────久しぶりに会うと緊張する。「敵」に見えるのは、あの頃を思い出しているせいかもしれない。 「…真剣にやるか?」 負けたくない。あの時の敗北感を忘れたい。ずっと引きずっていたのに気づかないふりをしていた。思い出さないように目を閉じていた。だけど見てしまったものは忘れられない。
子どものように土埃にまみれた水野にスタイリストが絶叫した。思わずふたりでいたずらっ子のように顔を反らす。 「あ、いいよ」 顔を出したのは中年男。泣きそうなスタイリストを適当になだめて、三上の全身を舐めるように見る。不審がる三上に、水野がカメラマンだと呟いた。 「適当に取るから、ふたりで走って」
男が改めて三上を見る。失礼、と舐めるように全身を見つめてくる。。 「…あぁ、何年か前女性誌に出てたね。雑誌の名前忘れたけど」
三上は顔を出したことはない。見る人が見ればわかるのだろうか。 「そうだね、君がそうなら俺が会いたかった男だ」
三上はようやく警戒を解いた。松下左右十、代表チームのコーチのあの男は親戚だ。 「ま、悪友だね」
出来上がったポスターは三上も写ったものだった。顔が出ているのは水野だけだが、競り合っているのは三上だ。キャッチコピーはただ「走れ!」と入っているだけで、一見生徒募集のポスターには見えない。他にも何枚かパターンはあるようで、これ以外は校舎や施設を背景に使ったらしい。
「…ストーカー?」 思わず笑いながら答え、笠井は呆れただけだった。 今はもう少し、走ろうか。 |
photo by ukihana
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