走 れ !

ぼんやりビデオを眺めた。グランドを縦横無尽に走り回る風祭。
一度グランドを離れても、戻ることは可能か?繰り返し自問する自分に嫌になる。答えは出せるはずがない。

「ただいま〜」
「…お帰り」

笠井が帰ってきた。鍵を閉めて靴を脱ぎ捨てる音がする。

「風呂沸いてる?あ、俺入っていい?」

風呂を覗いたのだろう。笠井は中まで入ってこずに、そのまま荷物を置いたようだ。三上は静かに立ち上がって風呂場へ向かう。入ってきたのを見て笠井は少し眉を寄せた。

「やだよ、一人で入るからね…何?」

黙って背中を引き寄せ、汗の匂いのする首筋に噛みつく。ぎゃっと色気のない声を上げて笠井が抵抗を見せると、かっときて乱暴に服を脱がした。笠井が息を飲んだのが聞こえる。それでも風呂場のドアへ押しつけて、やはり荒っぽく下着ごとジーンズに手をかけた。

「やだッ、何…なんで!?」
「うるさい!」

その時の笠井の目を一生忘れないだろう。してはいけないことをしてしまった。それでも今更衝動は治まらず、脱がしかけたシャツで抵抗を奪う。既に自分のものは猛っていた。痛い、小さな声で笠井は呟く。諦めた声に思えた。

見開いた目。自分を咎めるでもなく、ただ驚いた。






静かに泣く声が静かに響いて、三上は何も言えずに笠井の背中を見ていた。何処でぶつけたのかわからないが、今出来たものであることは確かなあざがたくさん出来ている。首や肩には幾つか歯形さえ残っていた。
言い訳をするわけではないが、そんなことをした実感はない。脱衣場でふたりは座り込んでいる。笠井は立つ力もないだろう。

「…ごめん」

笠井の肩が震えた。嗚咽が止む。言い訳はしない。だけど理由もない。
…恐らく初めてだった。こんなに一方的にしたのは。それ以上笠井が見れなくなってうなだれる。自分の中にだって後悔しか残っていない。
笠井が動く気配がした。殴られるだろうか。歯を食いしばる気も起きない。拳の代わりに力一杯体を押され、そのまま倒れ込んでしこたま後頭部をぶつけた。不意の衝撃で舌を噛む。痛みに耐えていると体温、唇が合わさる。とっさに笠井を引き剥がすと真っ直ぐ見返してきた。

「…笠井」
「いらなくなったら捨てて、」
「違う!」
「……」
「悪かった」

血の味がする。噛んだときに切れたのか。

「…風祭が」

笠井も見ていたのだろう。グランドへ戻ったあの小さな風が走り回る姿を。行く先々で嵐を起こす、魔法の体。

「風祭見てたら、思い出したんです」
「…何を?」
「…あのときもこうやって、誰にも相談せずに悩んでたんですか?」
「……」

あの夏。忘れられない最後の夏を。三上は息を殺す。笠井は泣き止んではいたが、すぐに涙が浮かんだ。倒れたままの三上の胸に額を当てて、涙をこぼす。熱い涙に一層後悔が増した。

「ドアに何回か頭ぶつけたし」
「…悪ィ」
「切れたし」
「うん…」
「…あんたに泣かされるの、久しぶりだな」
「……」
「風呂入るから、俺上がったら飯食いに行きません?」
「…まだか?」
「あんたが。どうせ食べてないんでしょ?」
「…あぁ」

ためらいながら手を伸ばし、冷たくなった肩を抱いた。






「…水野?」

グランド付近に不審者がいる、と女性教諭に言われてきてみたのだが、フェンスのそばにいるのは水野だった。
三上を見て微妙な表情をする。

「何?汗臭い少年の体操服でも盗みに来たわけ?」
「俺は変態か!」
「何の用だ?」
「…ここの宣伝ポスター撮るんだと」
「あぁ、副業。…お前中等部出てねぇくせに」
「言ったけど聞かないんだ」

嫌そうにしながら、時間はまだだけど早く着いてしまったのだと説明する。父親の手間断れなかったのだろう。最近ではそれなりに「親子」していると聞く。
今日は資料を取りに来ただけで部活はない。他の部の活動も見られないのはそのせいか。暇そうにしているので三上はフェンスを開けてボールを取ってくる。

「いいのか?」
「折角来たんだから練習つけて下さいよ〜水野選手〜」
「茶化すな。…高校以来か」
「お前飲み会とか来ねぇしな」
「俺に絡む気で誘ってくるから嫌なんだよ」
「よくおわかりで」

笑ってボールを蹴る。────久しぶりに会うと緊張する。「敵」に見えるのは、あの頃を思い出しているせいかもしれない。

「…真剣にやるか?」
「こい」

負けたくない。あの時の敗北感を忘れたい。ずっと引きずっていたのに気づかないふりをしていた。思い出さないように目を閉じていた。だけど見てしまったものは忘れられない。
水野がボールを蹴って走り出す。広いグランドにふたりきり。────さぁ、忘れ物は見つかるだろうか。






子どものように土埃にまみれた水野にスタイリストが絶叫した。思わずふたりでいたずらっ子のように顔を反らす。

「あ、いいよ」
「え?」

顔を出したのは中年男。泣きそうなスタイリストを適当になだめて、三上の全身を舐めるように見る。不審がる三上に、水野がカメラマンだと呟いた。

「適当に取るから、ふたりで走って」
「は?」
「サッカー。もうサッカーメインで撮っていいって言われてるんだよね」
「……」
「つーか何枚か撮らせてもらったけど」
「いつの間に…」
「水野くんね、カメラ向けるとカタいから。そっちの彼はカメラ慣れてそうだけど」
「…モデルやってたんで」
「ん?」

男が改めて三上を見る。失礼、と舐めるように全身を見つめてくる。。

「…あぁ、何年か前女性誌に出てたね。雑誌の名前忘れたけど」
「…」

三上は顔を出したことはない。見る人が見ればわかるのだろうか。

「そうだね、君がそうなら俺が会いたかった男だ」
「え?」
「君の短い現役時代は背番号でしか覚えてなかった。顔まで知らなくてね。今は何してんの?」
「…ここで、コーチを」
「へぇ。サッカー続けてんだ」
「……」
「嬉しいね。左右十何も言わないから」
「…あいつの知り合いか」

三上はようやく警戒を解いた。松下左右十、代表チームのコーチのあの男は親戚だ。

「ま、悪友だね」






出来上がったポスターは三上も写ったものだった。顔が出ているのは水野だけだが、競り合っているのは三上だ。キャッチコピーはただ「走れ!」と入っているだけで、一見生徒募集のポスターには見えない。他にも何枚かパターンはあるようで、これ以外は校舎や施設を背景に使ったらしい。
ポスターを駅で見かけた数日後、例のカメラマンから使わなかった分の写真がごっそり届いた。笠井が不審そうにしながらもそれを見て、誰からですかと呟く。

「…ストーカー?」

思わず笑いながら答え、笠井は呆れただけだった。 今はもう少し、走ろうか。

 

 

 

 

photo by ukihana

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