escape

 

「…笠井、ずるいんだあの人は」
「…」

知ってる。だけど何も言わず声に耳を傾けた。
辰巳の声って何でこんなに落ち着いてるのかな、俺よりずっと大人っぽくて、だけど付き合ってみれば年相応の魅力がある。中西先輩もこんなところに惹かれたんだろうか。

「勝手に人を捕まえて、自分から突き放す」
「…うん」
「…俺に可愛いなんて言ったのあの人が初めてだ」
「はは…だろうね」

中2にしてその体格は化け物だ。中西先輩や渋沢先輩なんかよりもでかいんだろうか。羨ましい限りだ。

「…守られる程弱くないつもりなのに」
「…中西先輩は」
「あの人は強いふりをしてる」
「…辰巳、」
「…」
「好きなんだろ?」

辰巳は先輩の名前を呼ばない。他人みたいに呼んで眉をひそめる。

「別にホモじゃないんだろ?何で?」
「…だって」

…言い訳みたいな切り出し。

「───怖いから」

それは恋愛の答えとして相応しいのか。
いとしいとしというこころ、も中西先輩の手にかかれば変わるもんだ。

「…でも信じたんだ」
「…冗談だと思ってた。だけどしつこいから」
「…」
「まだ完全に信じてない」
「…付き合ってないの?」
「…」
「───…じゃあ…例えば、」

俺の嫌いなあの人は頭からも心からも出て行かない。
もしかして辰巳もそうだった?なら俺はあの人を好きになると言うこと?

「三上さんだったら、すぐ信じた?」
「───三上先輩は、嘘吐くの下手だから」
「…」

そうなんだ。俺はあの人を何も知らない。
ただサッカー出来る先輩。だって他には何の情報も不要じゃないか?

「…逃げるの、飽きるなぁ」
「…FWだねー」

あの人から逃げられるならどんなにいいか。

 

*

 

「…辰巳」
「…はい?」

キュ、と蛇口を捻って水を止めて、辰巳は手を濡らしたまま俺を見た。
嫌になるほど読めない目。何を考えてるのか分からない、中西はこんなやつのどこがいいんだろう。

「…中西知らねぇ?」

9月に入ったけどまだまだ暑い。部活中は汗だくで、蝉の声がうるさくてやってられない。やっぱり中西がここ最近真面目に部活に出ていたのは辰巳が理由なのか。
どうして俺に聞くんですか、辰巳はまた蛇口を捻って腕に水をかけた。だけど外の水飲み場(っても通称で実際飲む奴はあんまりいない)は夏場は生温い水しか出ないから誤魔化しなんだろう、辰巳が動揺したようで何となく安心した。

「お前だから聞くんだよ」
「知りません」
「…」
「さっき逃げられました」
「…見てんじゃねぇか」
「…」

蛇口の水は止まらなかった。音だけなら爽やかに感じる。

「…ここじゃねぇなら昇降口だな」
「…分かってるのに聞くんですか」
「───辰巳」

 

*

 

あー、面倒くさいなもう。部活の後3階の教室まで戻るとか。忘れ物した俺が悪いけどさ。

「笠井!」
「え?」

何気なく振り返れば中西先輩が勢いよく走ってきた。
立ち止まりもせず俺を追い越しながら、

「辰巳が来たら嘘吐いといて!」
「はい?」

状況が理解出来ないまま中西先輩はあっと言う間に階段を駆け上がっていく。
ぽんぽんとリズミカルに段を飛ばして。軽やかで足音もせず、だけど焦りは見える。

「…何だぁ?」
「笠井、」
「…」

下から上がってきたのは辰巳。何してんだこの人達、…会わないんじゃ、なかったのか。

「中西先輩は?」
「…上」
「…」

一息吐いて辰巳は階段を上がっていく。あ、嘘吐くの忘れてた。
真剣な目に飲まれてしまった。FWに圧倒されるなんてDFとして情けない。

「あっ…笠井!」
「…」

またか…俺さっさと忘れ物とって帰りたいのに。
もう声で誰だか分かったから振り返らず、階段を昇りながら追い越されるのを待つ。

「笠井、中西か辰巳来たか?」
「どっちも上に」
「やっべーよ辰巳すげー顔してた!まさか中西殴ったりしねぇよな!?」
「な、殴っ…!?あんた何かしたんですかッ!?」
「中西がウゼェからちょいと煽るだけのつもりだったんだよ!嘘は吐いてねぇし!クソッ」

三上さんが急いで階段を駆け上がる。え〜ッ今のそんなシリアスシーンだったのかよとおいてけぼり感。
つかもしかして俺ってタイミングの悪いこと言った?うわぁ…とにかく無視出来ないから俺も慌ててあとを追う。
三上さんは迷わず4階へ上がっていった。4階って何があったっけ?

乱暴にドアを閉める音が廊下に響いた。
何があったのか焦って階段を昇りきると、角を曲がったところで立ち止まってる三上さんにぶつかる。文句を言おうと顔を上げれば、廊下の真ん中で辰巳がひとり立ち尽くしていた。
ドアの方を向いて、あそこは確か被服室。

「…先輩」

静かに辰巳が呼ぶ。
荒い息遣い。自分のと、三上さんの。何となく時が止まったような。
何か中西先輩は応えたんだろうか、辰巳はもう一度先輩を呼ぶ。閉じこもってしまったらしい中西先輩は出てこない。
ふっと当たりを見て辰巳は視線を上げた。窓の上、の窓。流石に無理だと諦めて、少し向こうの窓に手をかければ開いていた。
窓の開けられた音に先輩の制止の声が聞こえたけど、窓は辰巳を飲み込みピシャリと閉まる。

「…あ〜…クソ…」

頭をがしがし掻きながら三上さんは壁側に座り込んだ。第二ボタンを開ける。
どうしようか迷っていると隣を叩かれ、無言で座れと請求してくる。ムッとしたけど聞きたいこともあるから黙って隣に座った。
───何か言い争うような、と言っても中西先輩ひとりの声が聞こえる。少しずつ、トーンは落ちて。

「…あっち側見張ってろ」
「…」

三上さんに言われて彼と反対へ向いた。
そうか、こんなところでも絶対人が来ないとは言い切れない。現に被服室の鍵が開いていたわけだし。

「…三上さん何言ったんですか」
「…俺が貰うぞって」
「…」

ざわりと嫌な気配。なんて?

「切れるか続けるかはっきりしねぇなら俺が貰うぞって言ってやった」

真っ直ぐな廊下にはなんの障害物もなかった。背後からの声は今確実に俺を射た。焦燥。
…ほら、辰巳、こいつは嘘つきだ。俺のことなんか好きになるはずがない。

「───…マジになってんじゃねぇよ」
「…」

だけど嘘だとも言わないんですね。軽く袖が引かれた。だけど見ない。
───中西先輩はすっかり静かになってしまった。まさかと思うがあんなところでコトが進んでたりしないだろうな、そんなの帰るぞ。
あぁそうだ、忘れ物。取りに行くの忘れそうだ、今日中に終わらせなきゃいけない課題なのに。

「笠井」
「…」
「…笠井」
「呼ぶな」

乱暴に肩を引かれて思考停止。…また、口を塞いだのは先輩の。
振り払おうとしたのを簡単に押さえこまれる。無茶苦茶に何処かを蹴って振り払った。立ち上がって、息を止めていた間の酸素を補給する。
三上さんは真っ直ぐ俺を見た。試合の時みたいな真剣な表情。ぞくりと悪寒がした。

怖い。
逃げろと足に指令を送ったのは、指令塔のあんただ。

 

*

 

───何やってんだ俺。
蹴られた膝の痛みは忘れた。前を走る笠井をとにかく追う。真っ直ぐな廊下を走る笠井の背中。今追っているのはボールじゃなくて。

「ッ…」

あいつ俺より足早かったっけ?
好きな人のことだけど何も知らない。それでも好きだと想う。

守りたいとかじゃない(それは笠井の仕事だ)
怒らせたいわけでもない(怒らせてばかりだけど)
ただ…

笠井が廊下を曲がったのをすぐ追った。
曲がった勢いのついたまま、転けそうになったと思ったのを引っ張られて壁に押し付けられた。衝撃に一瞬息がつまる。

「どうして追いかけてくるんですか」
「…逃げるから」

近くで荒い呼吸。
すいませんなんかいい感じで、もう少し離れてもらえると有り難いんだけど、それを言うとまた殴られそうでやめておく。

「あんたが変なことするから」
「好きだ」
「…中西先輩とっちゃう気だったんでしょ?」
「嫉妬、」
「違います」
「笠井じゃないなら誰でも一緒だ」
「───最低だあんた」
「今更笠井に殺意持たれたって気にしねぇよ」
「…そういうのは嫌いです」

一瞬目が伏せられる。何となく伸ばした手を肩に置くとすぐに振り払われた。
しっかりした骨格。女とは違う。

「どうしたらもう俺に構わないでくれますか」
「───…」

近い。このままキスだって出来る。
笠井の俺を睨む目にぞくりと腕が粟立った。

流されたい。揺るがしたい。

もう廊下の電気も消えて、奥まった暗い中で濡れた目の光。

「…笠井からキスして」
「…変態」
「…」

掴まれた腕から体温が伝わってくる。走り回ったあとの汗ばんだ肌が張り付く。

 

「───お前らどういう関係?」

 

…大場の、声がした。

ごめんな笠井、お前の嫌いな厄介事ばかりに巻き込んで。
それはほんとに謝るけど、気持ちは一ミリだって否定出来ない。

 

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