金 色 の 世 界
「・・・おはよう笠井」
「おっ、おはようございますッ」ピシリとベッドで正座する笠井に苦笑して、辰巳はまたおはようと繰り返した。
それに続けて「誕生日にしようか」
「はい?」
「お前の誕生日、今日にしよう」
「え・・・いきなり何ですか」
「今日で1年だ」
「・・・何から?」
「お前に殺されかかってから」
「あ・・・」
「・・・俺もう少し寝るから客が来たら起こしてくれ」
「・・・・」そう言って布団に潜り込むなり寝息が聞こえてくる。笠井の気配で起きた割には随分と早い。
だけど1年間で、隣で寝てもらえるほどに関係が深まっている。
誕生日、と口の中で噛み砕き。
笠井は緩む顔をどうにも出来ず、にやけたままベッドを降りた。「もう1年経つのかぁ・・・」
「免許が発行できない?」
「ああ」渋沢の言葉に三上が一人顔をしかめる。
笠井は居心地が悪そうに視線を巡らせたあと、結局辰巳の元へ逃げた。「何でだよ」
「登録されてないんだ」
「・・・戸籍登録?」
「そう」
「・・・・・・」三上の視線を避けるように笠井は俯くだけだった。
考えなしだった自分が恨めしい。今の生活に慣れすぎて忘れていた、忘れてはいけない過去。「勝手だけど笠井のことを調べたよ。だけどさっぱりだ」
「さっぱりって」
「ヒット0。辰巳だな?」
「俺は当然のことしかしてないよ。元から免許は私欲で取ったようなものだし」
「・・・辰巳さん」
「同姓同名の笠井竹巳なら居た」
「・・・あぁ、居ただろうな」辰巳は優しく笑って笠井を頭を撫でた。大丈夫だ、と声を掛け。
「上で仕事してくる。客があったら呼んでくれ」
辰巳がノートパソコンを抱えて出ていった。
残された笠井は椅子の上で膝を抱える。「笠井は」
「俺の登録番号はX460です」
「・・・Xか。それじゃちょっと調べた程度じゃ見付からない」
「気付いたらあそこにいた。何も思わなかったですよ、それが普通だったから」
「ああ、言わなくてもいい。 ・・・もうひとりの笠井竹巳の話を聞いてくれるか」
「・・・・・・」渋沢はカウンターを離れ、笠井の前に座った。不安そうな笠井の目。
「辰巳の話からしようか。あいつに登録番号はなかった」
「え・・・」
「名前もなかったんだ。登録というのは普通親が行うんだが、辰巳は物心着いた頃にはもう一人だったよ。名前をくれたのが、笠井竹巳だ。女性だけどね。この辺りの孤児を集めて育てていた。彼女に育てられた奴は多いよ。
辰巳の登録番号は・・・番号だけじゃないな、番号と名前。それは彼女の旦那さんのものなんだ。彼が亡くなったときにくれたらしい」
「・・・・・・」
「死亡届を出さなかったんだ。それから数年辰巳は戸籍上、実際の年より30以上年を取ってることになってたけど。免許取ってから修正してるんじゃないかな。そのころには彼女は亡くなってた」
「・・・・・・その、笠井竹巳さんと辰巳さんは」
「・・・戸籍上は夫婦のままだったけど。それ以上は推測になるからやめよう」渋沢は優しく笑って笠井を見た。しかし笠井はすぐに視線を逸らしてしまう。
それを気にしない様子に、却って申し訳なく思った。笠井は知らずに拳を握る。「正直俺達も辰巳については分からないことの方が多い。全部辰巳が言った話だから本当かどうかも分からない」
「・・・・」
「だけど、笠井が来てから辰巳が変わったのは事実だよ」
────笠井にはここに来るまでの記憶にはあの無機質な訓練しかなかった。
人を殺す技術なら何でもやった。一般常識から一番苦しむ方法、瞬間で終わらせる方法、咄嗟の対応、隠蔽の仕方、思いつく限りのありとあらゆること。
大勢居ても誰も居ない、個性も人格も存在しない。
あの頃はあれが全てだった。だからあの日あの瞬間、世界に価値があることを知った。
世界の全てが金色に見えた。
「・・・辰巳さん」
「客か?」
「ううん」違うけど、と続けながら笠井はドアを閉めた。
妙にその音が響いて、戸惑いながら笠井は中へ入る。
簡単なキッチンとバスルームが区切られている以外全く仕切のない部屋の隅で、辰巳がノートパソコンと睨めっこしていた。
部屋の灯りを点けてやる。笠井の日々の努力のお陰で以前ほど散らかることはない。「どうした?」
「・・・いてもいいですか?」
「ああ」近くのソファの上を整理して場所を作り、笠井はそこに座り込む。
こっちを見ない辰巳をじっと見た。それで十分なはず、それ以上望む自分は欲張りだ。
この人がここに居るだけで、もう過去も何もどうでも良いじゃないか、「・・・辰巳さん」
「何?」
「『笠井竹巳』さんが好きだった?」
「いいや」辰巳は手を止め、そうかと思えば手近な本を退けて書類を探す。
それと画面を見比べつつ、またキーボードを叩いた。笠井には何をしているか分からない。「───嫌いだったよ。こんなこと言うと彼女を親とした奴らに殺されるけど」
タン
キーボードの音はこんな時だけ悲しく聞こえる。
蛍光灯がちかちかと瞬きだし、点けなければよかったと笠井を後悔させた。「理解できなかった。死ぬたかったのに勝手に拾って勝手に生かして。今でこそ感謝してるけど、でも───」
「・・・でも?」
「・・・だって、旦那殺してまでガキひとりに番号やるなんて変だろ?」
「!」ただこれも知っておくべきだ───さっきの渋沢の言葉が蘇る。
『笠井竹巳』は階段から転落して死亡。目撃者は辰巳一人。「・・・辰巳さんが好きだったんじゃないですか」
「30は年が離れてたけど」
「分かりませんよ」
「そうだったのかもな。・・・でも、あの時は、ホントに死にたくて嫌で嫌で」
「俺だって」目の前にあなたが光を射す前まで。
「俺だってとっとと殺して欲しかったんですけどね、あなたに」
「・・・俺は当分死ぬ予定はないぞ」
「死なないで下さいね、絶対。・・・死なせませんよ。誰を殺しても、誰が死んでもあなたは」
「言ったな」
「言いました。だからつまらない病気とか掛からないで下さいね、そっちだとどうしようもないですから」
「そうだな、出来るだけ」
「絶対!」辰巳が笑う。
笑い事ではないのだが、それでも笠井も笑い返した。「───俺がまた、あの服着るまでは絶対」
「・・・もう着ないことを祈る」
「・・・どういう意味で?」
「今度は確実に殺されそう」
「もーっ!色々あるでしょうッ居て欲しいからとかッ」笠井が思わず立ち上がり、それを見て辰巳は笑う。
よほどツボだったのかキーボードを叩く手まで止めて。「う、わっ、ムカつくっ」
「はは、でも、そう言ってる間は着ないだろ」
「・・・・・・着たら脱がせて下さいよ」
「三上にでも頼むんだな」
「もーっああ言えばこう言う!いっつも狡い!」
───あの黒い仕事着を置いてあるのは自分への戒め。
生かして貰っている意識と守られた自覚と、これから自分がすべきことの確認。
だからこの生活さえ続けば着ることはないはずだった。
辰巳サイド過去話。
重い重い。三上の時より増して重い。
ていうかホントは笠井の誕生日に書いてましたと言うことがばれる1本。
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