鏡 面 の 裏


「兄を探してほしいの」

セーラー服の少女は辰巳を真っ直ぐ見つめた。
埃っぽいこんな喫茶店には似合わない彼女はお客様だ。

「・・・もう大分前に、誰も知らないうちにいなくなったの」
「・・・家出?」
「いいえ、だって仕事中に突然いなくなったのよ、身辺の整理もなければ持って行ったものもない。あたしに書き置きすらなかったわ」
「あなたに?」
「・・・・」

辰巳は特に深追いはせず、目の前のノートパソコンに目をやってキーを叩いた。

「小島有希さんだったね」
「はい」
「お兄さんの名前は?」
「中西郎」
「・・・・」

辰巳が一瞬動きを止めた。ちらっと三上の方に視線を送り、無視を決め込まれ舌打ちする。

「・・・住所教えるよ」
「知ってるんですか?」
「・・・彼に一番詳しい男を知ってる」

傍のメモに住所と簡単な地図を書いて、辰巳はそれを有希に渡した。お代はいい、と席を立たせ、連絡しておくから今から行ってこいとなかば追い出すように有希を行かせた。
コーヒーカップの回収に来た笠井は辰巳の珍しい様子を不思議そうに見る。

「中西って中西さん・・・じゃないですよね、」
「・・・あいつは違うと言い張るけどな」
「?」
「あいつは会ったときから何も変わらないよ。郎であって秀二でもある」
「・・・」

 

 

 

 

ここしばらく自分以外の生き物の音を聞かない。
生物学を専攻で妙な話だ。中西は大型のコンピューターを前に溜息を吐く。
別に仕事が楽しくないわけではないが、元来事務作業は向かない質だ。

「あーあ・・・所詮下っ端だもんなぁ」

というよりも中西がコンピューターと資料しかない部屋にひとり勤務することになったのは自業自得なのだが。煙草ぐらい吸わせろって、なんてぼやくが中西はまだ未成年。本来なら学生だが彼は国が認めた特進生だ。
誰もいないのをいいことに大きなあくびをする。確かに一人の方がやりやすいと言えばそうなのだが。
こつん、小さな音を聞いた気がして振り返る。

ガッシャァン!

びくんと一瞬怯み、とっさに立ち上がって音の方へ向かう。
この部屋にあるあんな音をたてるもの、金属は棚の向こうの排気口しか思いつかない。
そこでは案の定、ぐわんぐわんと床の上で排気口を塞いでいた金網が回っていた。ネジでも緩んでいたんだろうか、それを拾おうと近付いて、触りかけて止める。
───自然のものじゃない。金網が動きを止めないのは網の中央がへこんでいるからだ。・・・排気口の内側から力がかからないとこうならない。
何故、考える前に気配を感じた。
しかしそれは一瞬遅く、腕を掴まれたかと思えば頭を強く押され中西は上体を床に押しつけられた。額を強くぶつける。引かれた腕は両腕まとめて後ろで捕まり、腰に重力がかかった。
視線を巡らせば、側に見えるのは硬そうな靴。金網を蹴ればへこませることも出来そうな。

「・・・誰?」
「侵入者」
「・・・・」
「お前人間か?」
「失礼な」

背中から手が延びて中西の首に触れた。緊張する中西をよそにその手はすぐに離れる。

「体温あるよな・・・反応ないからAIかと思った。じゃあやっぱりさっき壊したのか」
「何を?」
「熱感知機」
「何処から来たの?」
「・・・外」
「外?って都市の外?どうやって入ってきたのよ」

黙れ、頭にかかる重力が増す。背中に乗った人間の体重だって決して軽くない。

「───何しにきたの」
「ここは資料室だろう、なんでこの時間に人がいるんだ?」
「煙草バレて左遷」
「・・・学生じゃないのか」
「ちゃんと研究員よ、今はただの事務員だけどー」
「特進生か、頭いいんだ」
「おかげでこの通りへなちょこよ。何しにきたの?頭貸してあげようか、貸しても誰にもバレないしね」
「・・・五年前の受刑者リスト」
「・・・やーだ、なんでそんなん知ってんの?俺だってこの間偶然見つけただけなのに」
「人の口ってのは案外軽いもんだ。何処だ?」
「・・・Dの棚の一番下、茶色の皮の表紙」
「・・・本か」
「それだけ重要ってことかしら。情報料に手ェ放してくれると嬉しいんだけど」
「いや」
「・・・ケチー。・・・人呼んでやろ。体力有り余ってるから大声ぐらいだせるよ」
「ここ防音だろ」
「・・・そうなの?」
「昔の資料じゃここは反省室だ。この建物は旧軍の施設だから」
「知らない」
「だろうな」
「・・・・」

ぐっと両腕を引き寄せられ、背中でしっかり結ばれた。足首と膝も固定される。

(ダッセ・・・)
「大人しくしてろ」
「・・・・」

背中の気配がどいた。顔を見てやろうとしたが顔の半分は布で覆われている。
特に黒が基調なわけでもなく、動きやすくはあるだろうが派手にペンキが飛んだシャツではどう考えても研究施設をうろつくには目立ちすぎる。不似合いなアタッシュケースを手に男は棚の向こうに消えた。

「・・・・」

クビ、かな。ふと考えてわくわくする。
ずっとエリートコースを歩かされ、飛び級を重ねて社会に入った。ハプニングなんて殆どなくて、シュミレーションのような今までの生活。
それが終わるかもしれない?中西は笑う。

「・・・何か楽しいか?」
「あーお帰り。欲しいモンあった?」
「あぁ」

見上げてみれば侵入者はいつの間にか着替えている。
アイロンのかかったシャツにネクタイを締めてオプションに眼鏡。顔を半分覆っていた布はなかった。

「顔いーの?」
「・・・あぁ、隠してたわけじゃない。埃っぽいんだそこ」

そこ、と排気口を差した。男は床に落ちた金網を手にし、曲線を慎重に直していく。
不自然ではない程度に平らに戻り、ポケットから出したドライバーでそれをまた元通り取り付けた。背はそんなに高くないので手近な箱を台にしている。

「・・・もう帰るの?」
「ああ。邪魔しないなら外すぞ」
「あのさー、邪魔はしないけどー」
「何」
「俺も連れてってくんない?」
「・・・外へか?」
「そう」
「行きたいなら勝手に・・・あぁ・・・特進生は外へ出れないのか」
「そうー不本意ながら俺ってば優秀だからー」
「因みに玄関抜けるつもりなら無理よ、受け付けの女の子若い男はみんな把握してるから」
「・・・・」
「ふっふ、どーする?俺引きつけるぐらいなら出来るけど」
「・・・・」

男はどっしり溜息を吐いた。溜息の似合う男だった。

 

 

「ふざけんなハーイ返してこーい、俺が頼んだのは資料だけでーす」

パソコンの前に座る男は中西を見てしっしと追い払う仕草をする。
むっと中西が顔をしかめようとも気に止めない。

「・・・取り引きしたんだ」
「うるせェ黙れバカ忍者!」
「忍者じゃない・・・」
「ほれとっとと返してこい、犬とか猫とか猿とか拾ってくんじゃねーよ」
「猿ッ!?猿って俺のこと言ったっ!?」

ふたりのやりとりを黙って見ていた中西は目の前の男に掴みかかった。女が好きそうな顔。
中西を連れてきた男は溜息を吐いて奥へ引っ込んでいく。
廃ビルの屋上、コンクリートの壁に囲まれた部屋。奥と言っても部屋に区切りは一切ない。

「たーつーみッ!こいつ追い出せ!」
「そう言うな、何かに使えるかもしれない」
「ハ、身でも売ってもらって独立資金の足しにすっか?」
「バカ言うな、そんな勿体ない使い方。特進生だぞ」
「・・・マジで?」
「まぁね、一応小学生からエリートなのよ?」

にやり、と中西は笑って相手を見た。しばらく黙って見つめ返される。

「なんてモンさらってくんだよ・・・───お前体術は」
「高等学校で基本」
「使えねぇ。辰巳、こいつお前の師匠ンとこに預けてこい。使いものになるまで帰ってくんな。ついでに壊したもんの修理も」
「じゃあ処理の方頼んだ」
「あーもーめんどくせー。お前名前は!」
「名前?」
「あ?騒ぎにならねぇようにしてやるっつってんだよ!」
「・・・中西郎」
「三上、仕事の方も頼む」
「あ?仕事ったってあと送るだけじゃ」
「本だった」
「・・・打ち込めってか!」

事務仕事ー!
本を渡された男はキーボードにつっぷした。

 

 

「名前、」
「ん?」
「あんたの名前は?」
「辰巳、良平。さっきのは三上亮」
「あんた達はここの人?」
「三上は前は都市にいた」
「ふーん」

辰巳の後ろを歩きながら中西は辺りを見る。
自分の住んでいた都市は特に上層の綺麗に整備されているところに住んでいた。
そことはかけ離れた環境。道の脇に汚れた服の男がゴミと一緒に何人も寝転がっている。全体的に暗いギスギスした街。
空気もひどく汚れていて、中西が咳をすると辰巳が振り返った。

「───目は痛くないか」
「・・・目は、何とも。なんで?」
「空気合わなかったら無理にでも帰らせる」
「・・・何でこんなに空気汚いのさ」

何となしに聞いた質問だった。辰巳は表情を変えないまま、

「都市から送られた空気だ」
「・・・・」
「政府は外のことはどうでもいいからな。知らなかったのか?」
「───考えたことなかった」
「そんなもんだ」
「・・・何で俺連れてきたの?」
「帰るためだろ」
「違うね、帰ろうと思ったらひとりで帰れたでしょ」
「・・・使えると思ったから」
「目的は?」
「大それたことじゃない、ただ独立したいだけだ」
「何してる人?」
「情報屋。今は大きなところの下っ端だから今日みたいなこともする」
「・・・情報屋ってほんとにいるんだ」
「沢山いるよ」

辰巳が歩みを止めた。そこはストリートから少し離れた場所。
もう都市からは姿を消した型の団地が一棟。

「・・・何、ここ」
「今日からここに預けるから、ある程度使えるようになったら手伝ってもらう」
「・・・俺こんなとこじゃ生きてけないよ」
「それなら死ぬだけだ」
「・・・・」

シビアだね。中西は笑った。

 

 

 

 

 

「・・・中西郎って知ってますか」

煙草をくわえて中西は笑う。真っ直ぐ見てくるのは、懐かしい知らない人。

「有希ちゃんだっけ」
「・・・そうです」
「死んだよ」
「・・・・」
「中西郎は死んだ」
「・・・・」

嘘つき。小さな声。

「どうしていなくなっちゃったの?」
「・・・お兄さんに聞きなさいよ」
「どうして置いていったの?」
「・・・あなた嫌い」
「そう」
「・・・嘘」

少女は目に涙を浮かべるが、中西はからかうように笑うだけだ。

「俺は中西秀二、名前も違う」

初めは名前を捨てた。

「それとも姿がそんなに似てる?」

次は体を捨てた。
もう中西郎は死んでしまった。

「帰りなよ、ここはあんたには似合わないからさ」
「・・・・」
「勝手に出ていった奴なんかほっとけばいいんだって」
「・・・酷いことばかり言う」
「正論だと思うんだけどね」
「お兄ちゃん」
「・・・・」
「お喋りはお兄ちゃんの得意分野よ」
「・・・参ったね、俺より?」
「分かった、もういい。生きてて嬉しい」
「・・・・」

死んだって言ってるのに。

「・・・かなわねぇな、俺は素直な子の方が好みよ」
「あたしみたいなね」
「言うね。じゃあ可愛いからいいこと教えてあげる」
「何?」
「大切だから宝箱の中に残してきたのよ、おにーさんはさ」

あっちで暮らしなさい、血のつながらない兄なんか忘れて。
それがあんたの兄貴の最後の望み。

「・・・好きよ」
「・・・天国で会ったら伝えとく」

女の子を泣かせた俺は地獄行きだろうけど。

 

 


エリートな中西氏が書きたくて。あんまエリートっぽいとこ書けなかったなぁ。

 

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