苦 し み


「…は?なんて?」

笠井の声が露骨に嫌な声だった。三上はゆっくり振り返り、少し離れた場所で話している笠井を見る。
今にも携帯を手放しそうな険しい表情だ。相手は誰だかすぐ知れる。

「知らないよ。なんでそういうことになってんの?父さんでしょ?何────バカッ」

切られたらしい。携帯をベッドに投げつけて、はね返って壁にぶつかったのに一瞬びくりとしたが、笠井は携帯をそのままに傍に寄ってきた。ベッドにもたれて本を読んでいる三上の隣にぴたりと座り、頭を預けてくる。

「…どうした」
「……姉さんが、いなくなったんだって」
「…」
「あいつのせいで出ていったに決まってんじゃん。姉さん頭いいから、俺なんかに連絡あるはずないよ」
「…」

黙って頭を引き寄せる。泣き出しそうでも笠井はいつも泣かない。泣いたら止まらないとわかっているのだ。

「…姉さん何処行ったんだろう」
「…お前んち、お姉さんも親父と仲悪いの」
「…姉さんは、音楽以外で夢があるんです」
「…」
「でも先輩も知ってるように、うちは音楽一家だから。フルート吹けるんですよ。俺なんかよりよっぽど上手い。俺は頑張ってもそんなに上達しなくて、姉さんに期待してたから余計怒ってるんだと思う」
「…そんなもんか。うち誰も継ぐとか言う話しなかったけどな」
「…」

部屋は十分暖かいのに、笠井は身動きしてすり寄ってくる。ちらりと視線を向けるとじっと見上げてきた。目が語らんとすることはわかる。

「…しない」
「なんで?」
「晩飯だから」
「もう! わっ」

文句を言いそうな笠井を引っ張って体の前に抱き込む。両手で口を塞いでやって見下ろせば、視線だけこっちへ向けて睨んできた。

「今何したってお前の頭ン中に俺入らないだろうが」
「…好きだよ」

手の中のくぐもった声。吐く息の温度は感じた。

「信じない」

 

 

 

ポケットの中で携帯を開き、センター問い合わせ。新着メールはありません、の見飽きた文字に笠井は溜息を吐く。
何だかんだ言いながら、姉からの連絡を待っている。自分はまだ何も手伝えることはないけれど、弟へ知らせが入ったことぐらい考えつくだろう。それなら一度ぐらい連絡をくれないだろうか、…そんな期待は甘いだろうか。姉の決心は相当なものだ。今までバイトも許可されていなかった状況で、誰にも頼らず家を飛び出すなど。
────何処にいるのだろうか。姉の親しい友人には当然連絡が行ったはずだ。そこで誤魔化したにしても、ずっとそこにいることは出来ない。ホテルもまた同様だ。そうなると家へ戻らざるを得ない。それを考えないような姉ではない、となると居場所があるのだろう。

「笠井」
「ん?」

隣につつかれてそっちを見ると前を指さされ、続いて視線をやれば教師が笑顔を向けていた。

「目開けたまま寝るとは器用だな」
「あ、あの…すいません、考えごとを…」
「今度のテストの心配か?」
「…」
「よしっ笠井は勉強熱心みたいだからこのページの一番下の問題やってもらおう!」
「げっ!」

ぶつぶつ文句を言ってみるが撤回されず、笠井は諦めてノートを手に前へ出る。いつも笠井が数学が苦手なのをからかっている教師は、にやにや笑ってこっちを見てきた。

「センセーこれイジメっスよ〜。虐待〜」
「れっきとした授業の一環だ」
「ぶー、わかんないよこんなの……あ、やってた」

先日三上に教えてもらったところだ。宿題のページを勘違いしていて、怒られながら一生懸命解いたのが無駄にならずにすんだ。

「……おぉ…なんだよ、合ってんじゃん。つまんねー」
「何それ!?」
「お前字汚ぇな〜」
「センセーに言われたくないし」

教師が笑われている中席へ戻る。
────昨日の三上の言葉を思い出した。三上にあんなことを言われるとは思ってもいなかった。無条件に信じてしまっていた。…だけど言われたことは真実だ。嘘を言ったつもりはないが、真剣に思っていたかは怪しい。

(……すき)

三上を思い浮かべる。横柄な態度をとるけれど、本当はそんなに強くもない優しい人。

(…すき、なんだと思うけど)

そこに引っかかってしまうと進めなくなる。全てを否定することになってしまう。

(…やだなぁ…)

好きなら好きと言えればいいのに、どうしてだかそれが出来ない。

 

 

 

「……笠井、重い」
「ん〜…」
「……」

あぐらをかいている背中に笠井が体重を預けてきて、軽くストレッチ状態になっている。
内股辺りが引きつりそうで、三上がゆっくり体を起こすと笠井が滑って行った。笠井の方が苦しい体勢になり、一旦三上から離れたと思いきや半身を膝に乗り上げ腰にしがみついてくる。これはこれでストレッチだ。

「…お姉さんまだ見つかんねえの?」

頭を撫でてやるとわずかにうなずいた。三上には想像もつかない。出ていきたくなるような家。

「…つーか笠井さん…位置が悪い」
「…」

ゆっくり顔を上げた笠井が三上を見る。目が合って、なんとなくそらせない。

「…たった」
「ごめんなさい。……俺のせいか?」
「…いいけど…」

笠井が黙ってベルトに手をかけた。三上の動揺も無視して前をくつろげ、冷たい指でかたさを持ち始めたそれを握る。

「お前…ッ」

顔を覆って笠井から逸らす。笠井の指は熱をあおり、三上の様子を伺いながら舌を這わせた。三上の体が震えるのがわかる。

「…もし今この時代じゃなくて、ここじゃなかったら、俺たち死刑かな」
「…お前は今、ここにいるんだろうが」
「…うん」

だけど父さんにとっては同じこと。
小さな声が部屋を這う。そんな気分にはなれないのに三上の熱は力を失わず、笠井の手の中でかたさを増した。

「かさっ…!」
「ンッ」

 

 

 

「……」

自己嫌悪で笠井は頭を抱えた。裸の三上が隣で眠っている。結局三上が理性をなくすまで自分で煽って、三上を傷つけたに違いないのに。

(…最低)

三上の寝顔を見ながら泣きそうになる。気付いてしまった。
確かに三上のことは好きだ。しかしその理由。…姉と同じ。父親に逆らっているだけだ。恐らく父親の設計では自分の選らんだ女を息子にあてがうつもりだろう。自分が「非常識」なことをすれば父親が怒るのはわかりきっている。

「笠井」
「あ…」

寝返りをうったと思った三上に抱き締められる。温かい手にすがりつけば、寝ぼけた頭で謝ってきた。

「ごめん」
「先輩は悪くないです」
「いや。こういうときお前抵抗しないのわかってんのに無茶した」
「……」
「あ〜〜…もうちょっと、辛抱強くなるから、待ってて」
「……好き」

無理矢理三上の胸に潜り込む。小さくなって擦りつくのを改めて抱き締められた。

「父さんは関係ない。俺が好きなんです」
「…うん」

多分意味はわかっていないのだろうが三上は相槌をうつ。そんな優しさも嬉しくて、精一杯甘えてすがりつく。

「笠井、怒って」
「…何を?」
「いつもみたいに」
「…誰かさんが無理するから体痛いんですけど〜?」
「ははっ、ごめん」
「…笑いごとじゃないですよ」
「うん」

ごめんな。三上の声の優しさに錯覚しそうになる。向こうが悪かったようだ。そんなはずはないのに。
優しさに任せて肌を合わせているうちに、三上が様子を伺うように口付けてきた。それに応えて何度かキスを交わし、体が熱を持つ。じっと視線を合わせ、それとなく空気も熱を含んだ。

「かさ」
「あっ!」

布団を通して伝わってきた振動に笠井が携帯に手を伸ばし、三上はがくりと頭を垂れる。笠井がそれを待っていたことは知っていた。

「……三上先輩」
「どうした」
「…姉さん」
「…」
「友達のうちだって…母さんも知らない友達」
「そうか……よかったな」
「うん…」

顔を緩めた笠井に安心する。自分では気付いていなかったようだが、暗い顔をしていたのだ。三上のわからないところで相当悩んでいたのだろう。

(…どうしたんだってきいてやれるほど大人じゃなくてすいませんね…)

人の苦しみにまで手を出す余裕はない。自分がもう少し成長できればとは思うのに。
笑顔になって電話をかけている笠井を見て考える。

(…で、2回目はおあずけと…)

三上の考えていることがわかったのか、蹴りが飛んできたので慌ててベッドから降りた。
苦しみながらでも進むしかないのだ。自分が選んだ道を。あとで怒られるのを覚悟して、電話中の笠井に口付ける。

 

 


まとまらなく、なっちゃったの…自分にがっかり…

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