mad

 

触りたい。触れたいだけだ。
気配ではなく直接体温を知りたい。もう叶わないことだけど。

 

*

 

「新学期だってのに元気ないね」
「…そりゃな」
「いい子紹介したげようか?ん?」
「いらねぇよ」

大きく溜息を吐くと茶化そうとしていた中西も真面目な顔で視線を外した。
中西の目は窓の外、飛行機が空を切って渡って行くのを見ている。昼食のパンはいつもと同じだけど何となく不味かった。
ふたりで廊下の真ん中に座り込んでいたが辺りには誰もいない。4階の被服室の前は滅多に人が通らないから思わぬ穴場だ。

「…しかし三上が笠井のこと好きになるとはね。どっちかっつと俺のが好みじゃない?」
「言ってろ」
「あーゆーストイックなのがお好み?」
「知らねぇよ」
「…」

諦めるの?小さな声が俺に問う。
返事を返せず、ただ空を見て誤魔化した。飛行機は未練のように雲を残して空を横切る。

「…いいんだよ」
「いいの?」
「あいつの邪魔になるならやめる」
「…俺は」

廊下の端にちらりと誰かの姿が見え、しかし俺らがいたせいかすぐに戻っていった。辰巳だった気がする。

「俺は好きなもんは好きだよ」
「…」

俺はそこまで割り切れない。
手に残ったパンくずを払って中西は立ち上がった。可哀想だからゴミぐらい捨ててあげるよと俺の手からゴミを受け取る。

「笠井が可愛いなら構わない方がいいよ」
「…どういう意味だ?」
「大場がちょっかい出してるから」
「!」
「三上のせいかどうかは微妙だけどね」
「…バカかあいつは」
「バカでしょ。あ、笠井がね」
「…?」

 

*

 

部屋に入るなり田辺は口を開いた。

「なぁ、お前ら辰巳か中西先輩見てない?」
「何で?見てないけど」

ゲームから意識を離さずに誠二は答える。
わざわざ部屋にまで聞きにきたということは何かあったのだろう。
そのふたりの名前が一緒に出るからいい予感はしなかった。ふたりは今日夕食どころか部活にも姿を見せていない。

「…田辺、なんかあったの?」
「それがさぁ、あのふたり最近仲いいなと思ってたけどさ、どうもホモだったみたいで」
「…はぁっ!?」

藤代のリアクションに顔をしかめた。
ちら、とこっちを見てくるのを睨み返す。俺は違うっての。

「…なんでそういうことになってんの?」
「今日の昼にさぁ、あ、ほら辰巳ってたまに化学室で飯食ってんの知ってる?その化学室で中西先輩とくっついてたの、あの理科の…何だっけ、チワワみたいな」
「岡本先生?」
「そう、そいつに見つかって指導室って噂なんだけど」
「…それデマくさいよ、中西先輩誰にだってくっついてくじゃん」
「いやでもさー、キスはしねぇだろ」
「…してたの?」
「見てたわけじゃねーけどそういう噂」
「ナイナイ、また噂だけだろ。ほんとだったとしても中西先輩がふざけてんだって。辰巳最近中西先輩避けてたんだぜ」
「そうなの?」

みんなは仲いいと言うけど俺はふたりが一緒のところをあまり見たことがない。誠二なんかは辰巳とポジションも同じだし接点もあるのかもしれない。

「辰巳だからはっきり言わないけどさ、いっつも困った顔してんだぜ」
「辰巳なんかいっつもブッチョーヅラじゃん」
「まぁ田辺ほど感情豊かじゃないよね」
「あ、笠井ヒデェ、俺藤代よりましだって」

けらけらと田辺は笑い、まぁなんか分かったら教えるなーと余計なお節介の言葉を残して出ていった。
誠二がコンピューター相手に負かされたゲーム画面にやっと気付いて変な声を出す。

「…辰巳が中西先輩避けてるってほんと?」
「んー?避けてるっつか、関わりたくないって言ってた。…タクの方はさぁ、どうなの?」
「…何が」
「三上先輩」
「…ちゃんとお断りしました」

中西先輩伝だからほんとに伝わったかはわかんないけど、少なくとも普通に挨拶はするようにした。大場先輩達もうざかったし。

「あんさぁ笠井、」
「何?」
「中西先輩って辰巳のこと好きなのかな」
「…さぁ、」

言わないと約束したから、言わないけど。
…もし噂がほんとでふたりが指導室に行ってるにしても、そろそろ帰ってくるんじゃないだろうか。
やだー俺達噂の的?なんて中西先輩が帰ってきそうなのが目に見える。

───だけどそんなことは欠片もなかった。
それは同時に、噂が事実だったと言うことで、更なる事実を知ってるのはどうも俺だけらしかった。重いよ先輩、ずるい。
ふたりで帰ってきた辰巳と中西先輩はそわそわした視線に囲まれて、空気を壊したのは中西先輩が先だった。

「聞きたいならはっきり聞けばいいでしょうがお前ら何期待してんの!?ダッセェの、女じゃあるまいしこそこそ噂話楽しんでんじゃねーよ!」
「…じゃあ聞くけど、」

普段なら中西先輩に話しかけないような先輩が口を開く。形成逆転してるつもり?
だけど誰も聞けなかったのは事実。

「噂ほんとなのかよ」
「ンなわけあるか、バカくせー。俺が辰巳にちょっかいだして絡んでたのをあっちが勝手に勘違いして騒いでただけだっての!どーせ噂になるんだったら辰巳なんかじゃなくてもっといい相手選ぶね、なんで辰巳なんかと噂になんなきゃいけないわけ?こんなつまんない男」

…中西先輩は辰巳を見ない。辰巳も中西先輩を見ない。
だけどそれが逆にふたりの絆みたいなものに見えて俺は内心焦っていた。俺が焦ってどうなるわけじゃないけど、中西先輩にこれ以上喋らせちゃいけない気がして。

「…なっ…中西先輩!」
「…何?」
「誤解なのは分かりました!数学教えてくれる約束ですッ!」
「えっ?…あぁ、はいはい。そうね」
「自習室で待ってて下さいノート取ってきますから!」

誰かに何か言われる前にそこを出る。階段を駆け上がりながら、あれっこれよく考えたら今度は俺が中西先輩とデキてるとか噂にならない?なんて気が付いた。うわっバカか俺、…もういいよ畜生!
机の上に出てた英語のテキストをひっつかんでまた下へ。俺数学って言ったっけ?もうめちゃくちゃだ、知るか!

テストは終わったばかりで週末でもないから自習室は中西先輩以外にいなかった。みんな談話室で噂の話をしてるだけかもしれない。
中西先輩が机に伏せていたから一瞬泣いてるのかと思った。そこまで辰巳のこと好きなのかと思うと何となく冷めてくる。辰巳がどうにかするべきじゃないの?

「…笠井ィ」
「…はい」

顔を上げずに中西先輩はぼそりと俺を呼ぶ。声は泣いてはいないけど疲れていた。

「…俺指導室に呼ばれるような悪いことした?」
「…ほんとなんですか、あれ」
「大分マジだね、キスぐらいでキャンキャン吠えてんじゃねーよあいつ…こっちは誤魔化したけどさぁ」
「…」

…そっちまでほんとか。田辺情報も侮れない。
中西先輩も相手が悪かった、岡本先生運動部嫌ってるからなぁ。

「…笠井、あとで辰巳に謝っといて」
「…俺がですか?」
「だって今会えないよ。だめ、もう禁断症状出そう」
「…俺以外に誰が知ってるんですか?」
「誰も」
「…重いよ先輩」
「ごめんね」
「…」

俺は中西先輩と親しかったわけじゃないし、どこまで本気で好きなのかとか本気の気持ちとか知らないから何も言えない。
だけど泣き出しそうな先輩を見て何も出来ない自分が何となく嫌だった。
こうなってしまうと思ってた程悪い人じゃないし、…俺は中西先輩も嫌いだった。笑ってるところと怒ってるところしか見たことがない。子どもみたいに自分に忠実で、試合の最中でさえ気まぐれを起こすことだってあったから。

「辰巳に会いたい」
「…」
「いつまで我慢すればいいのかな」
「…」
「大好きって言っといて」
「嫌です」

急に辰巳が先輩を避けてたという話を思い出した。

*

「…何だ?」
「三上どったのー」

昨日からすっかり気力をなくした中西はやっと落ち着いたらしい。それでもぐったりと被服室のドアに寄りかかったまま、昼飯もカフェオレしか口にしてない。直接聞かれたりしてないだろうけどあの噂はいつの間にか部活だけじゃなく広がってたから。
───俺は笠井を好きなことが怖くなった。どうせきっぱりふられてるんだから要らない心配だけど。

「三上?」
「あぁ…笠井と辰巳がふたりで飯食ってる」
「…辰巳の話聞きたくない」

顔をしかめて俺を睨んでから中西はうつむいた。窓のサッシに腕を預けて外を見る。
───やっぱりあれは笠井と辰巳だろう、珍しい組み合わせだ。笠井も昨日は中西と、今日は辰巳と───って、待て。何で急に?偶然か?

笠井と中西が親しくなったなら不思議じゃない、笠井の返事を持ってきたのは笠井だから。だけど辰巳とまでなるとどうなんだ?
振り返った中西を見る。あの気まぐれ屋が、肯定したみたいだからと朝からサボらずに授業に出てた。
自分の評価も気にしない男が、…辰巳なんかどうでもいいと言いながら?

「…中西」
「ん〜?」
「どこまで嘘だ?」
「何が?」
「お前と辰巳って、」
「…俺がホモだとか言いたい?」
「!」
「ンなわけねーよ、キモいじゃんホモとか」
「お…おま、」
「あぁごめん、三上ホモだっけ?」
「中西!」

にやり、と口端を上げて中西は笑った。空の紙パックを潰しながら、ゆっくり立ち上がる。

「まぁ三上となら噂ンなってもいいけどね」
「ふざけんなお前!」
「ふざけてないでどうしろっての!?」
「ッ!」

急に語気を荒げて中西はゴミを俺に投げつけた。
油断した隙に胸元を捕まれ、窓に乱暴に押し付けられる。ビリビリした空気の振動。

「辰巳が人から傷つけられるぐらいなら俺がやる」
「…」
「あいつを守るためにならどんなに傷つくセリフだって百も二百も吐いてやる」
「…肯定してんじゃねぇか、」
「…」
「頭おかしいんじゃねーの?」
「…そうかもね」

狂気よりはっきりしない感情。
中西が俺に初めて弱音を吐いた。

 

*

 

「だからさ」

三上さんは俯きがちに口を開く。顔を合わせづらいのはこっちだと言うのに。

「俺が中西の伝言、笠井に伝えるから」
「…辰巳に伝えればいいんですか」
「そう」
「それって俺と三上さんに接点が出来るってことですね」
「…嫌か」
「…別に、ただ」
「…」
「辰巳に中西先輩に伝えてくれって言われたんです」
「…何て」

「『嘘吐かせてごめんなさい』」

辰巳はもう少し頭のいい男だと思っていた。ストイックで勤勉な職人だと。
なのに拍子抜けするほど年相応。

「…それで?」

「『だけどもう会いたくない』」

*

俺はホモっつーかなんつーか、自分がホモだという意識はないけどそういうことになるんだろう。だけど中西の気持ちも辰巳の気持ちも分からない。

「…それ俺が中西に言うわけ」
「えぇお願いします」
「…」
「じゃあ」
「あ、おい」
「…まだ何か」
「…いや…」
「…」

ふいと笠井はそのまま歩いていった。そんなに俺といるのが嫌なのか。
…まだ間に合う。ちょっと走っていけば捕まえられる。それで、捕まえて?
ざわりと皮膚の下を何かが走る。快感のような悪寒のような。ひく、指先が無意識に動く。笠井の後ろ姿。
触りたい。

───なぁ、中西、お前我慢なんか出来ねぇだろ。俺より我慢続いたことねーのによ。
なぁどうする、お前ふられたぞ今。

行き場のない狂気は凶器に勝る。

 

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