────冬がきた。
眠くなるほど暖かくした部屋で笠井はひとり過ごしていた。ルームメイトの水野はキャプテンとして呼ばれて不在だ。
テレビはゲーム画面で、笠井もコントローラーを握ってはいるがぼんやりしている。原因は分かっているのだ、耳に挟んでしまった今日の日のこと。

「笠井!!」
「!?」

ノックもなしに部屋に飛び込んできたのは三上。
ぎょっとして振り返った笠井は三上に飛びつく勢いで抱きつかれ、慌てて後ろに手をついて持ちこたえる。

「受かった!」
「────ッ…おめでとう、ございます」
「笠井?」
「…何で、ここに来るんですか」
「…あ」

パッと笠井の体を離し、三上は困ってやり場のない手をゆっくり下ろす。
久しぶりにこんなに近くで笠井を見た気がした。また前髪が伸びている。その髪の下に並んだ目が真っ直ぐ三上を見てきて、避難するでも歓迎するでもない視線に戸惑う。
何で、なんて。分かっているのに説明出来ない。拒否をした、固い体。

「…悪い、」
「…いえ、喜んでるところに水を差してすみません。…中西先輩に千円か…」
「テメ…人の人生で遊ぶんじゃねーよ…」
「はは、」

くしゃりと笑った表情なざわめく。
────あぁ、やってしまったと、さっきまでの自分は笠井のあの目に吸い込まれてしまったかのように、一転して気分が重くなった。
そんな三上に気付いてか、笠井は苦笑して立ち上がる。机に向かい、引き出しから何か取り出した。それから三上の腕を引いて立たせ、ドアまで引っ張っていく。
数カ月前まで自分をただ焦らせた手。ぎゅっと心が狭くなった。離さないでほしいと願った矢先に体温は離れる。
廊下に押し出され、そして手の平に何か押しつけられた。

「渡しそびれてた奴、もう要らないけどあげます。俺が持っててもしょうがないし」
「え?」

三上が何か聞く前に、無情にもドアは閉められた。手に残ったものを見る。
────合格祈願、の文字の縫われたお守りだ。今更これを貰ってどうしようと言うのだ。
三上は殆ど無意識に歩き出していた。部屋へ帰ろうと階段を登りかけ、途中で足を止めてお守りを握り込む。手の平に収まってしまうともう見えないような大きさだ。
────笠井、と。名を呼ぶのもはばかっていた、一番近しい存在だった人。誰かの声にはっとして、三上は階段を登り切る。
部屋に帰ると渋沢がいて、三上の表情を見て遠慮がちに結果を聞いた。

「…受かってた」
「そうか!おめでとう…嬉しそうじゃないな」
「嬉しいに決まってんだろ、」
「じゃあそういう顔をしろ」
「……」

なんでこんなもの。手の平のものは渋沢には見えない。自分からも隠すようにポケットに押し込む。

「…家に電話してくる」
「下で?」
「携帯今月ヤベーんだよ」

落ち着きがないなと渋沢に訝しがられても三上は黙って部屋を出た。
再び階段を降りながら、何が嬉しかったのか分からなくなる。努力が実ったのだから嬉しくないはずがない。なのにさっき笠井と別れた瞬間から、熱かった体の体内だけが冷たくなった気がする。血が瞬間的に冷えて、体の中を巡っている。
よく考えると今度は苛ついてきて、三上は走って笠井の部屋に向かった。八つ当たりのように、やはりノックもせずにドアを押し開ける。

「ふざけんなテメェ!」
「わっ!」
「…水野ひとりか?笠井は?」
「え…コンビニって、」
「……」

露骨な舌打ちに水野が顔をしかめた。また喧嘩ですかと口に出さずに聞いてくる。
さっきまでいた笠井は不在、部屋には水野ひとり。狙ったように。

「逃げやがって」
「…喧嘩ばっかりしてたらそのうち捨てられるぞ」
「既に捨てられてんだよ」
「…え?」
「俺が笠井より勉強の方が重要だったから」
「…だって、笠井そんなの一言も…」
「ンなのどうでもいいんだよ、また戻させんだから」
「…受験終わったから?」
「…そう」
「そんな、自分の都合ばっかり」
「笠井の都合だろ?笠井何処行った、知ってんだろ?」
「…ほんとに、知らない」
「…邪魔したな。あ、そうだ」
「?」
「少しばかり協力しろよ」
「…あんたのために?」
「笠井のためだろ?」

 

*

 

「────笠井、飯は?」
「ん〜…あとで、行くかも」
「…分かった」

帰ってから笠井はベッドに潜り込んでいた。
水野の声に曖昧に答え、心配そうな声色に気付いてはいるけれどきちんと説明してやれる余裕がない。あの馬鹿のせいで、と毒吐く。
水野が出ていったんだろう、ドアが開いて、閉まった。今夜は何だっけと妙に冷めた部分が考えている。

「笠井」
「────!?」

聞きたくない声。
笠井がとっさに体を起こしかけたのを、布団の上から押さえつけられた。のしかかってくる三上を睨む。

「いつ入って来たんですか」
「今、水野と入れ替わりに」
「なんで」
「テメェが逃げたからだろうが」
「誰が、」
「俺のこと好き?」
「……一生俺の面倒見てくれるなら言ってあげる」
「一生?」
「そう、ふたりしてジジィになって近所の人に気持ち悪がられるまで」
「そこまで責任取れねぇな」
「んッ!」

乱暴に口付けられて、暴れてみても体重で押さえられた布団で動けない。
悲しくも久しぶりな感覚。柔らかい舌先がくすぐるように咥内に入ってくる、まだ、離す気はない。
卑怯者、次の文句を用意して、腕を伸ばして三上の頭を抱く。

卑怯者。
好きだなんて言ってやらない。

 

*

 

あっ!
久しぶりに抱く体、小さく軌んで震える。後ろから首にかみついて、濡れた手で腹を撫でる。
何処から沸くのか分からない熱で額に汗が浮く。高ぶったものを、侵入させた。細い悲鳴。

「ハッ、あ…」
「ッ…」

シーツを握りしめる指先、折れそうなほどに力をこめて。快感にうち震える体に熱を乱暴にねじ込むように。

「あっ」

ふと耳に届いた音に反応して、三上は笠井に多いかぶさって、後ろから手で口を塞いだ。
汚れた手に笠井が顔をしかめ、何かと尋ねかけて聞こえた廊下を通る声。夕食を食べ終えた集団か。
そう言えばまだそんな時間だった?空腹感はあるような気がした、だけど今欲しいのは満腹感ではなくて、

「ッ、ン」

体内の熱が動く。崩れ落ちそうな体。声が遠ざかり、別の声が近付く。
細い、糸のように張りつめた意識は今にも途切れそうだった。

(狂った方が、まし…)

どこからこの感情は生まれるのか。
熱い指先が唇を撫で、入る。押し返すつもりで舌を出せば更に指は侵入し、味覚が刺激された。
耳元で息遣いが聞こえる、荒く、短い。舌を撫でる指を唾液が伝った。かみついてやるとゆっくり逃げる。
じりじりと、空気はゆっくりと進む。

「────せんぱい」
「ん、」
「もう、いい…」

笑い声────廊下は騒がしい。

「いいから、続けて」

かすれた声がこぼれた。

 

*

 

とんでもないことを口走ったような記憶がある。
隣の三上を見て笠井は溜息を吐いた。結局服を自分で脱いだのか脱がされたのかも分からない。
ずっと睡眠時間の少なかったのだろう三上はすることを終えて眠っているが、笠井は文句を言い足りなかった。
うつ伏せの三上の背中を跨いで、ふっと耳元に息を吹きかけてやると顔をしかめた。それを笑って、耳殻にかみついて舌を這わす。今度は笠井が三上を押さえつけて逃がさない。

「────笠井」
「何か言うことないんですか」
「ッ、」

濡れた耳にまた息を吹きかける。ひやっとしたのかは知らないが、うっすら目を開けた三上の眉は寄っている。
そのまま首の付け根に唇を落とし、かみつく。乱暴な気分だった。

「どうすんの、こんなことして」
「あー…俺と、付き合って下さい?」
「いつまで?」
「俺が飽きるまで、とか?」
「サイテー」

ふっと笑って、三上が体をひねって笠井を見上げる。

「飽きねえよ」
「…」
「返事は?」
「俺にゴーカン魔と付き合えってんですか」
「そう」
「ヤな男」
「好きだろ?」
「さあね」

好きだなんて言ってやらない。そんなに安い気持ちじゃない。

「笠井」
「…ん」

引き寄せられて、口付けて。もっかい、三上が呟くのを、聞かなかったふりをして隣に潜り込んだ。
お腹空いたなぁ、腰に回ってくる手を捕まえながら呟く。

「笠井」

かたい指先を捕まえて指を絡める。
ぎゅっと握ってしまえば彼は身動きがとれないのを知ってる。耳が弱いことを本人は自覚していないことも。
あんたは俺の何に気付いてるの、とは怖くて聞けない。
知らないんだろう、名前を聞くたびに指先が震えたこと、姿を見るたびに緊張したこと、挨拶を交わすたびに怖くなったこと。
俺は知ってる、あんたが俺を見るたび困惑していたこと。

「────笠井、ごめん、マジで立った」
「……知らねー」
「合格祝いってくるのかことで」
「俺はそんなに安くねーっス」
「そう言わず」
「…金払うー?」
「テメ…」
「ハハ、」

あんたとまた笑える日が来るなんて思わなかったよ。
こうしてまた年を重ねて、近い将来来るはずの避けられない別れにおびえながら過ごすのは、もう耐えられない。好きだなんて言わないけど、気付いてよ。

「────…先輩 春からどうするの」
「…────大学の近くに、部屋借りて」
「ふーん」

この辺でバイト探して。首筋に触れた唇が呟いた。
そんなことをしても無駄だと、言おうとしたのに言えなかった。

 

*

 

「俺は そんな 話 聞いて ないっ!」

「うん言ってないからね」
「…知らないうちに別れてて、昨日は一緒」
「そう…拗ねないでよ」
「ぶーっ」
「…」

ふてくされて唇をとがらせる親友に笠井は苦笑して、なだめるつもりで目の前でポッキーを振ってみた。しばらくそれを目で追って、藤代はそれをくわえる。

「────なんでそーなってたわけ、」
「ん?だって、三上先輩の邪魔しちゃまずいかと思って」
「本気?」
「…嘘」

俺は自惚れてたからね、そこから先は笠井は自らさえぎった。噛んだポッキーのくずが散る。
俺がいなくなって、あの人が動揺して何も手につかなくなればいいと思ったんだよ。藤代から視線を外して、思う。

「あー、笠井いいもの食べてるー」
「中西先輩もどうぞー」
「ありがと。────今何時?」
「えーと、11時半ぐらいっス」
「だよねー、そうよねー」

藤代から聞いた時間を自分の携帯で確認し、笠井から貰ったポッキーもしばらく口にしない。
どうしたんですか、笠井の言葉に少し黙って、中西はソファの隣に腰掛ける。

「12時からね、合格発表なんだよね」
「…え、ここにいていいんですか?」
「ネットで告知だからさ。あ〜〜…怖いなー」
「…中西先輩でもそんなこと思うんスね」
「…失礼なわんこだこと。辰巳んちが遠くなるか近くなるかの瀬戸際なのよ」
「そっちスか」
「あれ、でも辰巳先輩まだ決まってないですよね」
「あいつは公立だからね」
「じゃあ辰巳先輩のうちの近くなんて分からないじゃないですか」
「────だってあいつこっちで1校と東北に1校しか受けないからどっちかだもん」
「ふーん」
「よく分かってないね」
「分かってねっス」
「いーよねーっ藤代は。将来安泰だもんねェ」
「誠二に大学行けってのが無理です。お金の無駄」
「あッ、ヒデェ!俺だってちょっとは考えたんだぜッ」
「例えば何処に?」
「タレント養成スクール」
「…大学じゃねぇ」
「はは、平和だねー。笠井は?」
「…俺は、」
「おう中西ィ、結果出たか?」

寝起きの格好で三上がふらふらと談話室に入ってきた。中西は振り返ってじとりと睨む。

「…あんた時計読めないのー、まだデース。俺は三上と違ってデリケートだからもっと配慮してくれないかしら?」
「辰巳が落ちること願ってたぞ」
「…あとでお仕置きね」
「────お、笠井」
「…先輩今まで寝てたんですか」
「あー、何度か起きたけど寝てた」
「…。あっ腹痛くなってきた、誠二これあげる」
「お、大丈夫か?」
「誰かさんが近付いてきたら急に。トイレ行ってこ」
「ビアンキか俺は」
「三上先輩受験生のくせに漫画読んでたんスか」
「悪いか」
「つーか三上クン笠井に何したのー」

笠井が部屋を出たのを待って中西が笑う。三上はしばらく考えて黙りこんだ。

「…あっ!三上先輩!」
「やかましい!吠えんなサル!」
「俺はサルじゃないですー」
「やるねぇ三上クン」
「いや何、久しぶりだったもんで?」
「ギャー!サイテー!俺のタクがー!」
「とっくに汚れてんだよ笠井は」
「誰のせいですかっ!」
「ダッ!」

後頭部を叩かれて三上がつんのめる。顔を赤くした笠井が立っていて、その怒った表情にも中西は笑った。
その笠井の後ろから、辰巳がひょいと顔を出す。

「中西、どうだった」
「あ、まだ」
「…12時からだろ、過ぎたぞ」
「…あッ!うわっ怖!辰巳見てきて!」
「知らん」
「中西先輩はー、受験生でも辰巳先輩とらぶらぶだったんスか?」
「どうして?」
「いやだって、タクは別れたって言うから」
「あ、誠二」
「…そうなの?」
「…黙っとこーと思ったのに」
「え、ごめん」
「何、笠井何それ」
「…俺は一生 三上先輩といる気なんかないですよ」

藤代が三上を指差したのを、笠井が笑う。出来るだけ冷たく見えるように、あの人が被害者にあるように。

「誰かそんなこと言った?」
「────タク」

冷たい声に自分がおびえた。三上の表情。
初めて見たよ、そんな顔。ずっと一緒にいたけどね。

 

 

 

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