夢を見た。誰かに思い切りなじられた夢だった。誰かと思って睨みつければあの人だった。
────あぁ、これが現ならどんなにいいか。夢の中で夢だと気付く。

 

*

 

「どーゆーこと?」
「…俺も知りませーん」
「喧嘩?」
「してねぇよ」

中西の尋問に三上が鬱陶しそうに顔をしかめた。女かテメェは。毒付いてやると睨まれる。

「あんたが何かした以外に何が有り得るのよ」
「何か有り得るんじゃねーの」
「真面目に聞いてんの」
「大真面目だ俺は」
「昨日一緒に寝たんでしょ?」
「寝ましたね。お前発表は?」
「そんなもん後よ。ヤったんだよね?」
「ヤりましたねーエエ。だから俺はてっきり許されたもんだと思って春からどうすっかなーと色々考えたりしてたんですけどねどうも笠井さんは俺とヨリ戻す気はさっぱりないようですね何あいつ俺あいつに構ってて家に連絡すんのも忘れてたんだぜ」
「連絡してこい」
「発表見てこい」
「……」

しばらく三上を睨み、中西がしかめっ面で部屋を出ていく。辰巳が溜息を吐いて三上を見た。

「どうするんだあいつ」
「笠井に言え」

廊下で無関係の人間に怒鳴る中西の声がして、辰巳は再度溜息を吐いて後を追った。
残った三上はふてくされ、足を伸ばしてソファに沈み込む。

「────ま、俺としてはやっとかって気もするんですけどね〜」
「…どーゆー意味だ馬鹿犬」
「さぁ」
「…藤代クン」
「きっしょ!」
「言えよ!」
「だってタクずっと言ってたから」

いつまで先輩といたらいいんだろうって。

 

*

 

「水野は好きな人いないの?」
「…いねぇよ。何だよいきなり」
「別に、もてるだろうから彼女のひとりやふたりいるかなって」
「…ふたりはいねーだろ」
「水野ならそうかな」

不意に話し出した笠井に視線を送る。取り組んでいた課題に飽きてしまったのか、ノートを前にシャーペンをくるくると回していた。こっちは見ていない。
洗濯物を畳みながら、水野は慎重に笠井を見る。

「────三上と何かあったのか、ごめん、俺余計なことしたから」
「まぁ、何もなかったってことはないけど」
「喧嘩してたんだろ?」
「してないよ」
「────別れたって、」
「うん」

ぼんやりとシャーペンが回る。ふっとその手を見て、笠井が今気付いたようにシャーペンを握り直した。
────三上の癖と同じだと水野は知っている。談話室で受験勉強をする三上を何度も見た。

「…なんで?」
「…だって、大学行ったら気付くよ」

こんな閉鎖的な世界では俺でもよかったかも知れないけど。
笠井は蛍光灯を見て目を細め、机に伏せて光を遮る。眩しい。

「あのままだったら無理してでもこっちまで来そうだし、来られたって、困るよ」
「…笠井」
「もう好きかどうかなんてどうでもいい」

これ以上あの人の生活に関わりたくない、くぐもった声が嘆く。

「…いいのか?」
「俺のことはどうでもいい」

時が経ってあの人の隣は女の人が埋めればいい。結婚でもする頃にふっと俺のこと思い出して、連絡もしないぐらい遠い関係になってればいい。

「笠井、」
「だって」

いつまで一緒にいても足りないから。どれだけ求めたってどれだけ与えられたって足りない、一分一秒貪欲になる体中が覚えても理性が拒否しても。
いつになれば満たされるのか、底知れない情。

「────好きなんだろ、」
「好きな気がしてるだけだよ」

あんな人、もう好きになりたくない。

 

*

 

「笠井先輩は彼女とかいないんスか、」
「…いたことないな」
「マジすか?先輩なんかもてそーなのに」
「サッカーばっかりだったから」

後輩がふざけて疑いの視線を向けてくるのに苦笑する。
サッカーと、セックスと、喧嘩ばっかりだったから?

「お前は?」
「え、お、俺なんか」
「えー、知ってるよ、寮の裏で会ってるの」
「うっ、あっ、あ…あれはッ、彼女とかじゃなくてッ…」
「若いー」
「…先輩だっていっこ違いじゃないっスか」
「タクは精神的に老けてるから」
「大人だと言ってくれますか精神年齢の低い藤代クン」
「藤代先輩は?彼女!」
「えー、特定にはいないよね」
「うわッ誠二くんサイテー」
「えー、だってめんどくさいじゃん、デートとかクリスマスとか誕生日とか」
「それはもてる男のセリフでしかない」
「言ってみてーっス…」
「どんな人がいーの?」
「あー…タクみたいな?」
「あー、俺みたいな。…ホワイトデーには3倍返しねv」
「やっぱウゼェ!」
「失礼な!」
「────あー…あの、」
「何?」
「先輩達が付き合ってるって、マジっスか?」
「……ぶっ」
「ちょ…誠二が変なこと言うからあらぬ誤解を招いた!」
「タクが乗るからだろッ!?やだやだ、俺タクみたいなストーカーみたいなやつと付き合いたくない!」
「あっ誰がストーカーだって!?」
「何かイメージがストーカーじゃん、部屋でひとりでハァハァしてそーな」
「してねーし!俺はもっと爽やか路線だし!」
「自称自称」
「むかつく!」
「何騒いでんだ」
「あ、三上先輩」

どきん、と。心臓が跳ねた。
気付かれないよう、笠井は極自然に振り返る。

「────先輩今日は部活ですか」
「…おぅ」
「三上先輩久しぶりだから体鈍ってんじゃねーのー?俺とやりません?」
「いー度胸だクソ犬、ボール取ってこい」
「あっ、俺取ってきます!」

素早く後輩が駆けだしていって笠井は内心舌打ちをした。俺が行こうと思ったのに。
久しぶりに見るその姿。引退後に洗っていたスパイクは使い込んだもので、何となく自分のものと比べてみる。お互い自分に合う物を使っていただけなのに、メーカーが同じだ。そんなことも苦しい。

「────三上先輩も、タクなんかに遠慮しなきゃいいんだよ」
「…誠二」
「…」
「俺には関係ないから口出しすんのもなーと思うけど、うざいもん。昼メロのんが面白い」
「お前を楽しませるためにやってんじゃねーよ」
「人生楽しまないとー。三上先輩なんかもう先が短そうだし」
「好き勝手言いやがって」
「好きです」
「────タク?」
「俺はあんたが好きだ」
「笠井、」
「だからもう無理だよ」
「…意味わかんねぇよ」
「この先が見たくないんです」

このグランドを出て、広い世界に出るあなたを。
後輩が戻ってきて笠井は息を吐く。入れ替わりに笠井は逃げた。

「タク!」
「トイレ!」

泣いてこよう。泣きたい気分だった。

 

*

 

だったら別れることないだろうと誰かが言う。
自分にとってはそれでいいのかもしれない、だけど三上は?

「…先輩は俺と一緒でいいの?」
「…」
「どこまで俺の面倒見てくれるんですか?」
「…笠井」
「────俺は」

夜の屋上は冷えた。
空気がちくりと指先の体温から奪っていく。白い息には残酷な言葉が似合うだろう。

「…あんたが捨ててくれればよかったのに」

三上に背を向けて、うつむく。露わになった首の後ろを風が抜けた。

「もっと、客観的に先輩を見てみたかったんです。あんたに甘やかされてなかったら、俺はどうやってこの5年を過ごしたんだろうと思って」

あんたを抜いたら、何が残る?
────サッカーさえも、残らない、自分の両手を見下ろした。

「…虚しくなった」
「…そうかよ」
「後悔もした」
「────だからってハイそうですかって別れると思うか」

笠井がふっと笑う。少し後ろに視線を送って、三上を見留めた。

「別れてくれたじゃないですか」
「…」

ひやりと血が冷える。眠くなってきた、笠井はぼんやり、明日のことを考える。

(泣きたい)

いつでも泣けなかった。ひとりでもふたりでも。悲しい今の状況を、泣いてみたかったのに。

「…ネクラ」
「────」
「陰険、臍曲がり、」
「…」

三上の声。散々自分を引き留めたもの。

「可愛くない、意地っ張り、生意気、お節介。目付き悪い、バランス悪い、好き嫌い多い」

夜風がふたりの間を抜ける。言葉を冷やして耳に届ける。

「クソ真面目、神経質」
「知ってます」
「嘘吐き」
「……」
「俺のこと好き?」
「────うん」
「じゃあいいや、分かった」

別れてやるよ。
ジャリッと三上の歩き出した音がして、笠井はとっさに振り返る。

「何で、こっち見んの」
「!」
「…じゃあな」
「…お休みなさい」
「お休み。風邪引くなよ」

天邪鬼、人間不審、数学出来ない、足遅い。三上が屋上を出て行った。

 

*

 

そんなこと言われても、そうしようと決めたんだ。
いつもいつも三上が決心を揺るがす。受け入れる自分が何処か許せずにいたのが事実。結局人に流されて生きている気がして。
夜の屋上はまだ寒くて、体中鳥肌が立っていたけれど笠井はまだ部屋に戻る気にはなれなかった。溜息を吐いたって状況が変わらないことはずっと知ってる。
だけど泣いたら何か変わるんじゃないかと思ったんだ、泣けなかったけれど。

「────好きなんて、」

もうあの人以外の誰に言える言葉なのか予想も出来なかった。
足から底冷えする寒さが這い上がり、笠井はようやく中へ入る。

「寒くねーの?」
「!!」

声に、魔法のように体が動かなくなる。きっと蛇に睨まれたってこうはいかない。

「笠井 俺と付き合ってよ」
「…どうして」
「まだ先なんかわかんねーから、葬式には出てやるって約束しか出来ねーけど」
「…何で俺の方が先に死ぬんですか」
「死にそうじゃん」
「…嫌い」
「ハイハイ」
「あんたなんか大嫌いだよ」
「知ってるよ」
「…」

ドアの脇に座り込んでいた三上が立ち上がった。溜息を吐いて、笠井の背中を見る。
重たいものをきっと沢山抱えていて、自分もその内のひとつだと三上は気付いてはいたけれど。

「…ひとつ、約束してくれますか」
「…何?」「いらなくなったら捨てて」
「…」
「邪魔になったら捨てて。あんたの邪魔になるのが嫌だ」
「バカじゃねーの、お前なんか既に俺の障害物だっての」
「…」
「いいから黙って俺に付き合っとけよ」
「…俺にメリットないなぁ」

笠井がぎこちなく笑って振り返る。

「少なくとも一年分のカテキョならやってやんぜ」
「────しょうがないからそれぐらいで我慢してあげますよ」

 

 

 

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