ride

 

「――――竹巳」
「…ごめんなんか、言わないよ」

離れたばかりの唇が言葉を紡ぐ。冷たい言葉を吐いたつもりなのに声は震えて、笠井は情けなさに俯いた。
初めてのキスをした。相手は初めてじゃないことを笠井は知ってる。
一瞬触れただけのキスだった。稚拙なもので、よく考えたら初めてではなく、ずっと幼い頃にも交わしたのではないかと思い出した。
あのときの気持ちと同じだった。自分はあれから変わってないのだろう、ずっとこの思いを燻らせたまま、うかうかしている間に目の前でさらわれてしまったのだ。
甘い匂いがする。彼女が手にしたチョコレート。
こういうときはどのタイミングで帰ればいいのだろうか。彼女の隣に座ったまま、笠井はじっと考えた。漫画や何かの中では次の瞬間には場面は切り替わってしまう。

「…竹巳」
「……うん」
「大丈夫だよ、あたし」
「……」
「竹巳が好きだよ」

そんなことを聞きたいんじゃない。

 

*

 

「みーかーみーーー!」
「!?」

部屋に飛び込んできた大声に、三上はシャーペンを取り落として慌てて立ち上がった。
この声、そうでなくとも窓の外で大声を張り上げて自分を呼ぶのはあいつしかいない。

「…!お前そこで大声出すなって言ってんだろうが!」
「だって呼ぶの面倒なんだもんー。ねー、自転車乗っけてよー」
「はぁ?」
「お菓子買いに行くのー。うちの寮ねー、自転車売り切れでさー」
「…俺…実テ前なんだけど…」
「何ー?」
「…そこで待ってろ!」

舌打ちをして三上は窓から顔を抜く。勉強用にかけていた眼鏡を外すことも忘れ、財布と自転車の鍵を掴む。自転車は寮での貸し出しもしているが、特に男子寮では自分の自転車を置いていることが多い。それしか移動手段がないのだから貸し出しの自転車は忙しく、そうでなくとも古い。
階段を降りているとアッシーくーん、と冷やかしの声が飛んでくる。うるせぇよ!と叫びながらも、顔が熱くなるのは事実だ。
畜生、畜生。なんだってこんなに、言いなりになっているのか。

(息抜き、息抜き!)

畜生!
靴を突っかけて、自転車を取りに行きながらそれを履く。最近使っていなかったので自転車は奥に追いやられていて、いらつきながらそれを引っ張り出しているとが傍までやってきた。

「あらら、手伝う?」
「お前は邪魔するな」
「手伝うって言ってるのにー」

それでも彼女は笑って、数歩下がって待っている。Tシャツにスカートでスニーカー、かざりっけなんて少しもない。

(寝癖ぐらい、直せよ)

自転車を救出し、鍵を差し込んで向きを変える。

「あ、眼鏡だ眼鏡」
「…お前は寝癖」
「え、どの辺?」
「…いやいい、許せる程度だから」

自転車に跨って、が後ろの荷台に腰掛けた。重さがあるのでぐっと力を入れてペダルを踏み出す。

「わ」
「どこ行くの?」
「ヨーカドーは?遠い?」
「いけるけど」

ふらついた自転車を立て直して、三上は頭の中で進路を組んだ。目的地への行き方はいくつかある。二人乗りをしているのだから学校の傍は通れないだろう。

「…まぁ、ちょっと遠い」
「うん、いいよ」
「……」

の手が三上のシャツを掴む。そこから感じるぬくもりで動揺する。

(おもっくそ、遠回りしてやろうか)

背中の後ろに体温がある。何か歌を口ずさんでいる。何かと思えば荒城の月。最近音楽でやったのだろう。それにしてもなんという選曲センス。

(いいけど)

恥ずかしくなってくる。二人乗りじゃない、ずっとこうならいいと思ってしまう自分にだ。
次の春には三上は高等部に上がっている。そうなったら自分たちはどうなるのだろうか。まさかこの無精者が高等部に通うとは思われないし、自分が中等部へ通うなども考えられない。
終わるんだろうか。

(それなら 今が終わらなければ?)

…荒城の月はエンドレスだ。彼女自身も他の曲に一度変えたが、結局無意識に戻っていた。

「…あれ?お前のとこ笠井行ってなかったか?」
「…来てたよ」
「なんだよ、笠井にアッシーさせりゃよかったじゃねぇか」
「うん」
「? どうした?」
「竹巳は二人乗り出来ない」
「あぁ、そういやそうか。じゃあ笠井のチャリ借りりゃよかっただろうが」
「…ごめん」
「いや、別にいいけどよ」
「……」

あ、やべ、移ってきた。
呟く三上の頭の中で荒城の月が流れ始める。仮にも付き合っているふたりのサイクリングのBGMにはどうだろう。

「今は」
「ん?」
「今はね」
「何だよ」
「なんでもないよ」

今は三上がよかったんだよ。どうしてもその一言が言えなかった。

 

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