umbrella

 

何時間眠っても結局は朝になる。

天気予報が1日ずれて、明日からの雨が今日降り始めていた。
───練習は体育館かな。笠井は目をこすって起きあがる。じとりと嫌な汗で首に髪が張り付いていた。切ってしまおうか、しかしこれ以上短くすると似合わないということはまだ記憶に新しい。
でもどうせ切るなら夏休み中じゃないと時間が取りにくい。…切ろうかな。誰かさんに触られたし。

「…あーあ…」

朝がこなければいいなんて思う日がくるとは思わなかった。

 

*

 

「三上、起き…てるのか、珍しいな」
「…」

またベッドに倒れようとする俺を捕まえ、渋沢は溜息を吐く。

「練習は体育館」
「放送聞こえた。やなんだよ体育館。あつっくるしい」
「みんな同じだ」

あ〜…畜生、寝てりゃよかった。実際問題よく眠れてない。
振り払われた手がいつまでも痛かったり俺を睨んだ目を思い出して鳥肌立ったり触れた髪の匂いや熱さに違うところが熱くなりかけたりしていた。
───なんだって、あんなこと。

 

*

 

「…ねむ…」
「前見えてるか〜?タクが授業中寝てんの初めて見た」
「…寝てません、起きてました」
「あ、まじで?やったノート貸して」
「…誠二は」
「寝てた」
「……ごめん他の奴に借りて」
「寝てたんじゃーん」
「寝てなかったけど」

ノートを開いて誠二に見せてやると腹を抱えて笑い出す。うるせーよ!
いとみみずがのたくったような芸術作品みたいなノートに溜息を吐く。俺も誰かにノート借りよう…折角補習きたのに意味なかった。

「でも変なの、タク昨日9時には布団入ってたじゃん」
「…俺も不思議だよ」

能味噌溶けるほど寝たっつの。起きてたら考えちゃうから。…殺人計画なんかを。
丁度選抜落ちなんてネタがあるからそれのショックでの自殺に見せかけてとか企んだり。
って、俺はこんなキャラじやないってのに。悪いのは全てあの男。
…何が悲しくて嫌いな男に唇を奪われなきゃならないのか。ファーストだったのに。絶対に許さない。二度と好きになりたいなんて思わない。
いくら寝ても寝足りない。全て忘れるぐらい眠りたい。

 

*

 

「…寝れない」
「…三上どうした?」
「別に」

寝たいのに…くそ…。寝ようと思えば頭に出てくるのは笠井。露骨に睨んでくる視線。
…末期だ…問題なのはそうなった原因、つか俺が悪いけど。

「坂野いるー?」

…笠井。
声だけでびびって体を固くする。近藤の声でふっと緊張は溶けた。

「だからさ、この辺はこっちと相似だから1:3でいいんだろ」
「…だから、それは相似だけどお前は向きが間違ってんだって」

「坂野〜、今日の補習行ってたよな?悪いけどノート貸してくんない?」
「いいけど、笠井が珍しいな」
「…意識飛んでたんだよね…なんかやたらと眠くてさ」
「夜ちゃんと寝てるか?」
「昨日10時間ぐらい寝たよ」
「寝すぎ!」

…寝すぎだろ…俺寝れてないのに…。
…気にしてないってことなんだろうか?だけどあの視線はそうじゃない。

「…あっ分かった分かった、AがBでCのとこがAか」
「あ〜…そう、だからこことここが1:3」
「ふんふん」

「あ、笠井なんかいい匂いする」
「えー?鼻いいなぁ…」
「レンタル料!」
「いいけどさ」

ちらっと横目に見えたのは、綺麗にラッピングされたもの。ということは当然誰かに貰ったものだろう。そうか、あいつももてるんだっけ?

「三上!聞いてるか!?」
「…あ、悪ィ」
「どうしたんだお前」
「…俺が聞きてぇよ」

嫌な予感がする。知ってる感覚。そしてその感覚の名前。

 

*

 

今日も雨。じとっと気持ちの悪い天気だった。
最悪だ。この日は過去最悪。 男にキスされたあの日よりずっと最悪。

「大谷先生傘貸して下さい」
「ないのか?朝から雨降ってただろ」
「…傘お化けみたいになってました」
「…またか…今日は?部活か」
「いえ、部活はなかったんで朝から補習に。理科まで」
「今度から遅くまで残るときは教室まで持ってあがれ。ったく、下らないことする奴ばっかりだな」
「ほんとですね」

あーあ、結構気に入ってたのにな傘…。
うちの学校では雨が降ると一本は傘が壊される。他の学校じゃ取られたりするらしいけどそんなのはまだましだ。
特徴のないビニール傘ならなくなったって話を聞くけど。他のを取って帰ってもうちは全寮制、どこからか誰が誰の傘を取ったと知れる。

「古家先生、貸し傘ってどこでしたっけ」
「…用具室ですけど多分使える奴ないですよ、終業式に急に降ったから貸し出した奴殆ど返ってませんから」
「え…」

職員室の窓から外を見る。
…うーん、ちょいと走って帰るには無理が。先生も同じことを考えたらしい。

「…せんせー送って下さい」
「無茶言うな、俺チャリだぞ」
「…今日は?」
「バス」
「…いいです、多分まだ誰か残ってると思うんで昇降口で待ち伏せてみますから」
「そうか?じゃあな、5時過ぎには小林先生帰ってくるから強請ったら送ってくれるかもしれないから駄目そうだったらまた戻ってこい」
「…1時間も粘れるかな〜…失礼しましたー」

あぁもう、ついてないな。傘は壊されるし寮には帰れないし。せめてもうちょっと小降りになれば走って帰るのにな…アスファルトをばたばた叩く大粒の雨の中を走るのはなぁ。
幸い打ち水になって涼しいし。昇降口のドアに寄りかかって誰かが降りてくるのを待つ。補習は確かあとひとコマあったから誰かはいるだろうと思うけど、でも出来れば運動部のやつがいいなぁ…あんまり離れた寮のやつだと気が引けるし。サッカー部なら言うことないけど。

「笠井?」

…聞きたくない声で何か聞こえた。気のせいだな。
雨足は少し弱くなったような気がする。走るか。靴はしょうがないとしてズボンの裾を折りあげる。

「笠井」
「…何ですか」

服引っ張るな。視線に気付いたのか三上さんは手を離した。
よりにもよってどんな場合でも会いたくないこの人に会うとは俺も相当ついてない。

「傘は?」
「傘だったものならさっきゴミ捨て場に持っていきました」
「…やられたか」

えーと鞄の中に濡れて困るものは入ってなかったかな。携帯なんかは持ってきてないし。
教科書とかは…ロッカーに置いてこよう。走りやすくもなるし。

「走って帰る気か?」
「そうです」
「風邪引くぞ」
「小3以来寝込んだことはありません」
「入ってけよ」
「…誰に言ってんですか?」
「笠井」
「お断りします」

 

*

 

そりゃ言うと思ったけど。
つーか、ここで誘ってる辺り俺は嫌な予感的中ってことになるのか。

「濡れて帰るよりはましだろ」
「三上さんと相合い傘なら濡れた方がましです」
「風邪ひくって」
「ひきません」
「わかんねぇよ」
「…何がしたいんですか」
「…」

俺は

「…謝りたい」
「…謝るぐらいなら初めからしないで下さい」
「悪かった」
「許しません」
「…なんでそんな怒ってんの」
「あんたになんか気を許した自分に怒ってるんです」
「…そっか。傘使え」
「え…」
「適当に玄関の傘立てに突っ込んでくれればいいから」
「…なんでですか」
「お前に風邪ひかれたら困るだろ」
「…だからひかないって言ってるじゃないですか。大体先輩はどうするんです」
「うちはMF豊富だから」
「…濡れて帰るって言うんですか!?ふざけないで下さいよ、傘なんかいりません」
「使えよ」
「しょっちゅう鼻風邪ひいてる人が何言ってるんですか!」
「…」

なんで知ってるかな。お前ほんとは俺のこと好きなんじゃねぇの?
強引に傘を押しつけると笠井が大きく溜息を吐く。

「…だから嫌いなんですよ」

 

*

 

ったく…小学生みたいにくだらないこと押し通さないで欲しい。どうして俺が三上さんと相合い傘。しかもさっきから一言も喋らないし。
…やだなこの近さ。じめっとする湿気や汗で肌は何となく湿ってる。その腕同士が触れたり触れなかったりなんて距離。
相合い傘っつっても男ふたり入って余裕なんて傘はそうないだろう、結局鞄濡れてるし。教科書入ったままだし。最悪。

「…なぁ笠井、」
「何ですか」
「付き合ってる奴とかいんの?」
「居ませんよ、そんな暇ないし興味もありません」
「ねぇの?」
「ないです」
「ふーん…職人気質…」
「…それがどうかしましたか」
「いや、…」

歯切れの悪い物言いに苛ついてくる。何が言いたいんだ。
雨は相変わらず降り続ける。他に人影はなくしんとして、この世にふたりしかいないんじゃないかなんて軽く恐怖にかられた。

「か…笠井」
「…」
「…あの」
「何ですか」
「…好きだ」

 

*

 

今しかないと思った。
今を逃せば話をする機会もなくなると思った。

「好きなんだ」
「…は…」

笠井が立ち止まったのでそれに合わせて足を止める。目を丸くしてこっちを見てくるのを出来るだけ真っ直ぐ見つめた。傘を持つ手が震える。

「好きだ」

言い過ぎだ。自分につっこみながらも止まらない。雨でよかった、また抱きしめてしまいそうだった。
どこが好きとか言えればいいのかもしれない。だけど他に何も出てこない。

「…冗談やめて下さいよ」
「冗談じゃねぇよ」

目をそらされて体の奥がざわめいた。バタバタと雨が傘を叩く。何となく焦る。

「ほんきで、好きだ」
「…」

最悪。笠井の唇が動く。
抱きしめたいと思った。見た目よりしっかりしてる体、柔らかい髪。確かな敵意と毒を吐く心。マゾか俺は。

「…好きだ」
「俺はあんたなんか大嫌いです!」

早口にそれだけ言って笠井は傘から一歩引いた。
日焼けした肌を雨が一気に濡らす。眉間にしわを寄せ、俺を睨みつける。

「…笠井」

笠井は鞄を抱えて走り出した。水溜まりも気にせずに真っ直ぐ、グランドを駆けるようにと言うよりは恐怖から逃げ出すような。
笠井の水音を伴う足音は遠くなっていく。足元の水溜まりに波紋は尽きない。

好きだ。ほんとに。
あんな目をした人間に初めて出会った。任務を遂行するのみとでも言いたげな鋭い視線。事実しか言わない心は今まで何を見てきたんだろうか。俺の他に嫌いな奴は居るんだろうか、だとしたらやたら羨ましい。少なくとも俺よりは好かれてるという点で。
ほんとに 好きだ。
自分でも驚くぐらいたった今気付いた。ずっと好きだったのかも知れない。
知らないふりをしていた。俺にはない信念。

 

*

 

最悪だ。
補習は遅刻するし、傘は壊されるし、大嫌いな男と相合い傘して、あまつさえ告白なんかされて、結局濡れて帰って風邪ひいた。靴はしっかり濡れて制服には泥が飛んで教科書は濡れて波打ってる。

ふざけんじゃねぇ、何が、好きだ、だよ。寝言は寝て言え。
こないだのキスだって嫌がらせぐらいにしか思わなかった。あれはこういう意味で?
しかも寝れないし。眠れない夜なんて小学校低学年以来だ。

最悪じゃないか。

 

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