under

 

この時間が一番好きかもしれない。三上とふたり、被服室前の無人の廊下で過ごす昼休み。窓の外でにぎやかな声が聞こえてきたらそれは合図のようなもので、立ち上がって窓を開ける。そろそろ風が冷たくなってきて、セーターの袖に指先をすっぽり入れてしまって身を乗り出した。

さみー、だりー、文句を言いながら校舎からジャージ姿の生徒が出てくる。緑のジャージは2年生。紙パックのカフェオレをすすりながら待ち続け、ようやく出てきたその男は友人と話しながらも空を仰いだ。周りより飛び出した頭が、一番近い。中西と目を合わせて辰巳が笑う。ひらひらと手を振ると、辰巳の視線で気づいた笠井や藤代がはしゃいで振り返してきた。それでも辰巳しか見えない。
すっと隣に立った三上が中西の顔をのぞき込み、鼻で笑う。どんな顔をしているのかわからないが、緩みきっているのだろう。三上も視線を落とし、何やら騒いでいる藤代にうるせー、と叫んでいた。その目が笠井をとらえたことも中西にはわかったが、そんなことはどうでもいい。身を乗り出して辰巳を見る。落ちないで下さいよ、辰巳の声が心地いい。自分は幸せ者だ、柄にもなくそんなことを思う。

「落ちたら受け止めてね」

無茶言わないで下さい、はにかんで笑う辰巳が愛しい。季節は秋だ。目の前を落ち葉がよぎる。冷たい風がセーターを透かして体を撫で、枯れ葉の匂いが流れてきた。寂しい気配を打ち消すような辰巳の笑顔が救いになる。きっと秋が好きになるだろう。

「お前ら、どうなの」
「何が?」

三上の言葉を流す。友人に声をかけられ、ウォーミングアップに向かう辰巳が一度振り返った。ひらひらと手を振ると今度は軽く振り返されて、自分でもにやけたのがわかる。

「最近、一緒にいねーじゃん」
「会ってるよ、こうやってさ、辰巳が笑ってるの見れたらいいんだ」
「お前が?」
「なんか失礼ね、その言い方」
「だってそうだろ」
「……まあね」
「笠井が気にしてた」
「話するんだ」
「話ぐらいはな」
「そっちはどうなの?」

いじわるな質問だなあと思いながらも聞いてみる。わずかに眉をひそめて三上は顔をそらした。笠井に告白した三上は玉砕している。気まずいまま季節が変わり、最近ようやく以前の調子を取り戻したようだ。中西は絶対くっつくと思っていたのだが、現実はうまくいかない。……ただの、中西の理想だったのだ。自分と辰巳が間違っていないという確信がほしくて、それを証明してくれる存在がほしかっただけ。グランドを走る笠井を辰巳のついでに見た。三上が溜息をつく。不景気だ。

「三上は笠井のどこが好きになったの」
「……目」
「ふうん」
「目が怖い」
「ドMだなあ。倒錯的」
「お前は」
「さあ、知らない。でもほしくなっちゃったからさ」
「動物的だなお前は」
「これでも結構考えてるのよ〜」

例えば距離を置いてみたり、とは思うだけに留める。もう秋なのだ。部活は引退となり、そうは言ってもそのままエスカレーターに乗って進学するので部活には出る。しかし立場は全く違った。今は勝つことよりも、先輩に追いつく、追い抜くための活動だ。来年を背中に背負った彼らとは違う。中西だって子どもじゃない、ほしいと言うだけで手に入れてはいけないものもあることぐらいわかっている。

「これからどうしようかと思って」
「……どうするって?」
「だってこのままじゃ辰巳をダメにする気がする」

少し前に狂い咲きをしていた桜はとっくに散っていた。あんな恋なのかもしれない。

 

*

 

中西先輩だ、笠井の声に窓の外を見る。声が聞こえたのか、顔を上げた中西と目が合った。自分を見なかった中西と辰巳を見比べて、笠井は溜息をつく。ふたり以外には誰もいない、静かな放課後の教室にそれは妙に響いた気がした。帰るところらしい中西は辰巳に向かって手を振る。日直日誌を書く手を止めて立ち上がり、笠井のそばに立った。

「まだ帰らないのー?」
「日直なので」
「がんばれー」

中西の笑顔に顔が緩んだ。俺もいるんですけどねえ、呆れた笠井の声に我に返る。見下ろす中西は普段と違って見えて、いつも体育の前のあの時間、中西は自分をこんな風に見ているのだろうかと思った。あの時間が好きだ。だけど近くで笑顔を見たい。最近避けられているような気がする。
中西のそばに校舎から出てきた三上が近寄った。中西が指したのに気づいてこっちを見た三上を捉えた瞬間、笠井が窓に背を向ける。三上と笠井は以前にひと悶着あった。しかし片がついてからは変わりなく接していたように思う。実際三上も戸惑った表情を見せていて、中西に何かしたんじゃないの、とからかわれている。

「じゃーね辰巳」
「あ、はい、気をつけて」

笑い声を残して中西たちが歩き出す。気をつけて、は変だった気がしたが、なんと言えばよかったのだろう。笠井がゆっくり振り返り、先輩ふたりの後ろ姿を見送る。

「笠井?」
「辰巳、中西先輩と、つき合ってんの、どうして?」
「……好きだから」
「じゃなくて、どうやって?告白した?された?」
「笠井?」
「俺、あんだけひどいこと言ったから、」
「三上先輩が好きなのか?」
「わかんないよ、でも、今、好きって言われたら嫌じゃない」

季節が変わるみたいに気持ちが変わる。顔を赤くした笠井がうつむいてしゃがみこみ、忘れて、と呟いた。どうしたらいいのかわからずに机に戻る。シャーペンを手にするが、日誌は進まない。――もしかしたら、中西はもう辰巳のことはどうでもいいのだろうか。いや、それはないだろう。あの笑顔が嘘だとは思えない。しかし中西が距離を置いているのは確かだ。
秋の桜が散ったように、狂った感情が戻ることもあるのかもしれない。そうなったらどうすればいいのだろう。冬は近づいてくる。卒業の、冬が。書きかけた文章の続きが思いつかず、結局消しゴムを手に取る。

「辰巳、後悔したことは、ある?」
「――出会ったこと」
「ばか」

笠井の言う通りだと思う。惨めで、愚かだ。それでも、

「好きになったこと」

後悔はあとからするものだ。全て結果としての後悔なのだから、辰巳は後悔していない。自分で決めたことだ。
――どうして今更迷うのだろう。夏に戻ることができればいいのに。

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送